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「マハーバーラタ」の神話と神々-インドの神話2-


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インド神話  
 
 
紀元前5、6世紀になると、仏教やジャイナ教が興隆して、バラモン教の

勢力は、それ以前と比較して一時弱くなります。しかし時期は定かでない

ものの、やがてバラモン教は民間信仰を吸収して、いわゆるヒンドゥー教

として華々しく復興します。

 

ヒンドゥー教の主神は、周知のとおり、シヴァとヴィシュヌとブラフマー

(梵天)の三大神とされます。特にシヴァとヴィシュヌの二神は絶大な信仰

の対象となり、それぞれシヴァ教とヴィシュヌ教という二大教派における

最高神となったのです。

 

シヴァは、『リグ・ヴェーダ』におけるルドラと同一視され、ハラ、シャン

カラ、マハーデ-ヴァ、マヘーシュヴァラ(大自在天)などの別名を持つ

とされます。シヴァはまた、かつて世界の滅亡を救うために猛毒を飲み、

青黒い顔をしているので、ニーラカンタ(青頸(しょうきょう))と

呼ばれ、また、世界を破壊する時に恐ろしい黒い姿で現れるので、マハー

カーラ(大黒)とも呼ばれています。そして、舞踏の創始者ということで、

ナタラージャ(「踊りての王」の意)とも呼ばれ、後世、彼の踊る姿を描い

た彫像がさかんに造られたということです。

 

シヴァは天上から降下したガンガー(ガンジス)川を頭頂で支え、またその

頭に新月を戴き、三叉の戟(ほこ)を手にする、彼は山に住み、常にヒマー

ラヤの山中で修行する、そして、額に第三の眼を持ち、そこから発する火焔で

愛神カーマを焼き殺す、また牡牛ナンディンを乗り物とする、といった存在

です。

 

シヴァ神の妃が、パールヴァティー(「山の娘」の意)で、彼女はヒマー

ラヤの娘とされ、ウマー、ガウリー、ドルガーなどと呼ばれます。そして、

彼女が血なまぐさい狂暴な姿を取る時は、カーリーと呼ばれるのです。

また、軍神スカンダ(韋駄天)と象面のガネーシャ(聖天)は、シヴァと

パールヴァティーの息子とされています。

 

一方のヴィシュヌは、すでに『リグ・ヴェーダ』に登場する神ですが、

元来、太陽の光照作用を神格化したものと言われています。シヴァが山岳

と関係があるのに対し、ヴィシュヌは海洋と縁が深く、彼は大蛇(シェー

 

シャ竜)を寝台として水上に眠るのです。ブラフマー(梵天)は、そのへそ

に生えた蓮花から現れたと言われています。後代になると、ヴィシュヌ神話

が整備されて、ヴィシュヌの化身(アヴァターラ)がいくつも出てきて、

クリシュナ、ラーマ、ブッダなどもその化身のうちに数えられるようになり

ます。

 

ヴィシュヌの妃がシュリー・ラクシュミー(吉祥天女)とされます。太古、

ヴィシュヌ神が音頭をとって海底から不死の飲料アムリタ(甘露)を得た

際に、海中から出現したシュリーを妃としたと言われています。

 

また、ブラフマー(梵天)は、ウパニシャッド(奥義書)の最高原理である

ブラフマン(中性原理)を神格化したものとされています。ブラフマンから

の宇宙創造説が有力になるにしたがって、抽象的な思考になじまぬ人のため

に、中性原理を人格神に変える必要が生じたようで、やがて、ブラフマー

(中性原理と区別するために男性形を用いる)は造物主(プラジャーパティ)

とみなされ、仏教の興起した頃には、世界の主宰神、創造神と一般に認めら

れるようになったということです。

 

しかし、その後、シヴァとヴィシュヌの信仰が高まるにつれて、ブラフマー

の地位は下がり、両神のうちのいずれかの影響下で宇宙を創造するにすぎ

ないと考えられるようになり、ブラフマーは両神のように幅広い信仰の対象

になることはなかったようです。ただし、さらに後代になると、宇宙の最高

原理がブラフマーとして世界を創造し、ヴィシュヌとしてそれを維持し、

シヴァとしてそれを破壊するというような、三神一体の説が述べられるよう

になったということです。

 

さて、ヒンドゥー教の代表的な文献は、二大叙事詩、『マハーバーラタ』と

『ラーマーヤナ』とされています。両者とも現在にようにまとまったのは

かなり後代のことで、西暦400年頃であろうと推定されているようですが、

その原形が成立したのは、それよりもはるか以前にさかのぼるようです。

 

『マハーバーラタ』は、十八編十万詩節よりなる大作で、量的にはギリシャ

の二大叙事詩『イーリアス』と『オデッセイア』を合わせたものの七倍も

あるという、世界最大級の叙事詩です。

 

作者は聖仙ヴィヤーサであると伝えられていますが、実際には、仏教が

興る時代よりもはるか以前に行われた大戦争に関する物語が核となり、

それに後代の種々の物語が時代ごとに付加されて、現存の形に編纂され

たものだということです。

 

主な筋はバラタ族のうちのバーンドの五王子とクルの百王子との間の

確執、それに続く大戦争にあります。戦争の結果、五王子側が一応の

勝利をおさめるが、その五王子も最後には死んで天界へ赴くのです。

 

もっとも、この主筋は全巻の五分の一ほどにすぎないようです。なぜなら、

主筋の間には、おびただしい神話・伝説・物語が導入されているからです。

以前、紹介した『バガヴァッド・ギーター』のような哲学的・宗教的な

書が編入されている例もあるところからしても、これは当時の法律・政治

・経済・社会制度・民間信仰・通俗哲学などを伝える百家全書的な資料

だと言えるようです。

 

一方、『ラーマーヤナ』は七編二万四千詩節よりなり、詩聖ヴァールミーキ

の作と伝えられています。ダシャラタ王の息子ラーマが、妻のシーターを

誘拐した羅刹王ラーヴァナを殺すまでの話を主筋とし、それに後編が付け

加えられています。

 

後編はシーターの貞節を疑う民の声があるのを知ったラーマは彼女を棄て、

最後にシーターは母なる大地に抱かれてこの世を去るというものです。

 

後世の詩論家によれば、『マハーバーラタ』はシャーンタ・ラサ(寂静の

情趣)を主題にした作品であり、『ラーマーヤナ』はカルサ・ラサ(悲の

情趣)を主題にしているということです。

 

古来、インドでは、聖仙ヴァールミーキを「最初の詩人」と呼び、彼の作品

とみなされる叙事詩『ラーマーヤナ』を「最初の詩作品(アーディ・カー

ヴィア)」と呼ぶようです。インド最古の文献であるヴェーダ聖典も詩で

あったが、それは永遠の存在である天啓聖典であるとみなされ、人間の

作った文学作品とは考えられなかったということです。

 

それでは『ラーマーヤナ』と並び称せられる『マハーバーラタ』は詩作品

(カーヴィア)ではないのかという疑問が湧いてきますが、従来、『マハー

バーラタ』の形式、文体、詩的技巧などは『ラーマーヤナ』ほど洗練され

ていないから、前者は、全体として見て、「最初の詩作品」である後者より

も古く、詩作品(カーヴィア)であるとはいえないと考える一般的な傾向

があったようです。

 

しかし、ややこしいことに、インドの伝承では、『マハーバーラタ』は

『ラーマーヤナ』よりも後に成立したとみなされていて、それは当然詩

作品(カーヴィア)であると考えられてきたともいえるのです。

 

さて、『マハーバーラタ』の主筋については、各自が読んでいただくとして、

ここでは、そこに含まれている神話をいくつか紹介しておきたいと思います。

 

<大洋の攪拌と甘露>

太古、主だった神々は、メール山(須弥山)に集まって、いかにしたら不死

の飲料である甘露(アムリタ)を得ることができるかと相談した。そのうち、

ナーラーヤナ(ヴィシュヌ神)が梵天に、「神々とアスラ(阿修羅)の群と

の両者で大海を攪拌すれば、一切の薬草、一切の宝石を得た後、甘露を得る

であろう」と言った。

 

そこで神々はヴィシュヌ神と梵天の援助により、マンダラ山を攪拌棒として

用い、大海を攪拌し始めた。マンダラ山がまわされている間に、多くの海中

の生物が死に絶え、山火事によって多くの獣が死んだ。神々の王インドラ

(帝釈天)が雨を降らせて火を消した。

 

すると、種々の大木の樹液や薬草の汁が大量に海中に流れ出た。甘露にも

似たこれらの乳状の汁と、融けた黄金の流出とによって、神々は不死と

なり、大洋の水は乳に変じた。

 

しかし、甘露はまだ現れなかったので、神々はさらにヴィシュヌの力を得て

乳海を攪拌したところ、大海から太陽と月が出現した。それから、シュリー

女神(吉祥天女)が白衣をまとって出現した。それから、酒の女神(スラ―

・デーヴィー)、白馬、ヴィシュヌの胸に懸かる宝珠(カウストバ)が次々

と現れ、最後に、甘露を入れた白壺を持つダヌヴァンタリ神(神々の医師)

が出現した。

 

この奇蹟を見て悪魔たちは甘露をひとりじめにしようと企て、神々に襲い

かかった。ラーフという悪魔が神に変装して甘露を飲み始めたとき、ヴィ

シュヌ神はこの悪魔の巨大な頭を円盤で切り落とした。このことがあって

以来、不死となったラーフの頭は太陽と月とを恨み、今日にいたるまで、

日蝕と月蝕を引き起こすのである。

 

神々と悪魔との激しい戦闘はなおも続いたが、ヴィシュヌ等の働きで神群

は勝利を収め、マンダラ山をもとの位置にもどし、甘露を安全な貯蔵庫に

隠して、その守護をインドラ神の手にゆだねたのである。

 

この神話は、一種の創造神話ですが、主題はむしろ不死の飲料アムリタの

出現とそれをめぐる神々とアスラたちの争いにあるようです。それに日蝕

・月蝕の起源を述べる説明神話が付け加えられているのです。

 

<金剛杵(ヴァジュラ)の由来>

黄金時代(クリタ・ユガ)においても獰猛(ねいもう)な悪魔たちが

跳梁していた。彼らはヴリトラを首領として、いたるところでインドラ

(帝釈天)に率いられた神々に襲いかかった。そこで神々はヴリトラを

殺そうと計画し、梵天(ブラフマー)のところへ行って相談した。

 

梵天は、「ダディ―チャという偉大な聖仙がいる。皆で彼のもとに行き、

三界の安寧のために骨をくださいと頼みなさい。彼は命を捨てて自分

の骨をくれるであろう。その骨でこのうえなく恐ろしくて堅箇な

ヴァジュラ(金剛杵)を造れ。インドラはその武器でヴリトラを殺す

であろう」と告げた。

 

梵天の言葉を聞いて神々はサラスヴァティー川の向こう岸にあるダディ

―チャの隠棲処へ行き、その足下にひれ伏して望みをかなえてくれる

よう頼んだ。するとダディ―チャは非常に喜んで、「私は今日、あなた方

のお役に立ちましょう。あなた方のために身を捨てます」と答えた。

そして、その偉大な聖者は突然息をひきとったのです。

 

そこで神々は教えられたとおりに彼の骨をとり出して、トゥバァシュトリ

(工巧神)を呼んで目的を告げたところ、トゥバァシュトリは彼らの頼み

を聞いて勇み立ち、一心不乱に仕事に励み、こよなく恐ろしい形をした

ヴァジュラを造り上げ、シャクラ(インドラ)に「このヴァジュラの打撃

により、今日、獰猛な神の敵を粉砕しなさい」と告げた。都市の破壊者

(インドラ)は、喜んでそのヴァジュラをつかんだ。

 

インドラの武器であるヴァジュラがトゥバァシュトリ(工巧神)によって

造られたこと、そして、その材料がダディヤッチ(ダディ―チャ)の骨

であるということは、いずれも『リグ・ヴェーダ』に見え、インドラは

ダディヤッチの骨により多数のヴリドラを殺したと説かれています。

 

<海水を飲みほしたアガスティア仙>

インドラはダディ―チャ仙の骨から造られた武器ヴァジュラを持ち、強力

なる神々に守られて、天地をおおっているヴリドラを攻撃したが、ヴリ

トラは巨体を持つ悪魔たちにとり囲まれていた。神軍と魔軍との熾烈な

戦闘が始まり、悪魔たちが神々を襲ったため、神々はたまらず退却した。

 

神々が恐怖にかられ、ヴリトラがますます勢いづくのを見て、インドラは

非常に意気沮喪した。それを知って、ヴィシュヌ神は自己の威光をインドラ

に注入して彼の力を増大させ、他の神々や聖仙たちもそれにならって彼を

力づけた。

 

神の王が力を得たことを知ると、ヴリトラ大きな雄叫びをあげ、それに

よって全天地は振動した。それを聞いたインドラは恐怖にかられ、あわてて

ヴァジュラを放つと、巨大なアスラ(ヴリトラ)はヴァジュラに撃たれて

大山のように倒れた。しかし、インドラはヴリトラが死んだにもかかわらず、

恐怖にかられて湖水に飛び込もうとして走った。恐ろしさのあまり、彼は

ヴァジュラが自分の手を離れたことも、ヴリトラが死んだことも知らな

かったのである。

 

神々はみな喜んでインドラを讃え、ヴリトラの死にうちひしがれた悪魔たち

を殺したが、命からがら海に逃げこんだ悪魔たちは、海底で三界(全世界)

を滅ぼすために恐ろしい計画をたてた。「全世界は苦行によって維持されて

いるから、修行者たちを殺せば、世界は全滅するのだ」として、猛り狂った

悪魔たちは、夜な夜な隠者たちを食べ続け、隠棲処に押し入っては人に見ら

れることもなく多数のバラモンを殺害した。

 

そのため、ヴェーダの学習や祈祷は絶え、祭式も行われなくなり、世界は

活気を失ってしまった。こうして祭式が実行されなくなり、世界が滅びそう

になった時、神々は非常に悲しみ、相談した結果、ナーラーヤナ(ヴィ

シュヌ)神のところへ庇護を求めた。

 

ヴィシュヌは「それは悪魔どものしわざだ。彼らは世界を滅ぼそうとして

いるのだが、彼らを殺すことはできぬ。海中にひそんでいるのだから。

そこでまず海をなくさねばなるまい。あのアガスティア仙を除いて、他の

誰が海を干上がらせることができよう」と告げた。

 

それを聞いて、神々はアガスティアの隠棲処へ行き、この偉大な聖仙を

讃えてから願いを聞いてくれるように頼んだところ、アガスティアは同意

して、神々や聖仙たちとともに海へ行った。半神たちも彼の行う奇蹟を

見ようとして、その後についていった。

 

大仙アガスティアは、「世界の安寧のために、私は海を飲みほす」と

言って、一気に海水を飲みほした。インドラをはじめとする神々はそれを

見てすっかり驚き、そして彼をほめ讃えた。それから神々は勇みたち、

武器をとって悪魔たちを殺した。しかし、若干の悪魔たちはかろうじて

生き残り、大地を裂いて地底界へ逃げ込んだ。

 

神々は悪魔を殺してから、アガスティアに感謝し、海を再び水で満たして

くれるように頼むが、アガスティアに水は消化してしまったので、それは

できないと言われ、仕方なく梵天に頼むが、梵天は、バギーラタ王が天上の

ガンガー(ガンジス)川を地上に導いた時に、海は再び水をたたえるで

あろうと予言するのであった。

 

アガスティア仙とは、『リグ・ヴェーダ』詩人の一人とみなされている存在

で、彼のインドラとの対話も伝えられているようです。『リグ・ヴェーダ』

の偉大な戦士インドラもここでは喜劇的な英雄として描かれています。

 

かくして、『リグ・ヴェーダ』においては、最大、最強で最も人気のあった

インドラの地位は、『マハーバーラタ』、つまり、初期ヒンドゥー教において

は明らかに低下していることが伺えます。神々の王とされるインドラでさえ、

バラモン殺しの罪を犯したら、長年の間、力を失って身を隠さなければなら

なかったという神話があるように、そこには司祭階級であるバラモンと戦士

階級であるクシャトリヤ(インドラ)との闘争が暗示されており、クシャト

リヤ(俗)に対するバラモン(聖)の優位性を訴えているように思われます。

 

時代は、インドラからシヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマー(梵天)の三大神の

時代に移っていたのですが、現実の社会は戦乱が絶えず、武力を持たない

バラモンたちは、クシャトリヤ階級に依存しなければならない反面、その

専横を抑えなければならないという苦渋の様が見てとれます。

 

 



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