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「キリスト」とは何か?


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霊魂イエス下  
 
 
「キリスト」というと、イエス・キリストを思い浮かべますが、果たして

キリストと呼ばれる存在は、イエス・キリストのみなのでしょうか? また、

そもそも、キリストとはどういう存在なのでしょうか? 

 

今回は、「キリスト」とは一体何なのか、について考えてみたいと思います。

 

さて、この「キリスト」という言葉から連想される言葉に「メシア」や、

「救世主」というものもありますから、先にこれらを整理しておきたい

と思います。

 

「メシア」とは、本来、「(油を)塗られた者」を意味する言葉で、後に、

それは理想的な統治をする為政者を意味するようになり、さらに神的な

救済者を指すようになったようです。

 

このメシアに対応するギリシャ語がクリストスで、その日本語的表記が

「キリスト」だということです。キリスト教徒とイスラム教徒は、ナザレ

のイエスがそのメシアであると考えていて、イエスをメシアとして認めた

場合の呼称がイエス・キリストだということになります。

 

ただし、メシアの捉え方は両者の間では異なっているようです。イスラム

でもユダヤ教、キリスト教からメシアの概念は継承されているが、イスラム

においてはイエス自身は預言者にして預言者ムハンマドに先行する神の使徒

とされていて、神が派遣したメシアであることも認識されているということ

です。

 

なお、ユダヤ教におけるメシアはダビデの子孫から生まれ、イスラエルを

再建してダビデの王国を回復し、世界に平和をもたらす存在とされている

が、まだ、到来していないとされます。

 

さて、キリスト教にはキリストの「再臨」、すなわち、天に昇ったとされる

イエス・キリストが世界の終りの日にキリスト教徒を天に導き入れるため、

また、世界を義をもって裁くために、再び地上に降りてくるという信仰が

ありますが、キリスト、あるいはメシアが地上に降りて来られるのは一度

のみとは限らないのです。

 

ゾロアスター教では、ザラスシュトラ(ゾロアスター)の登場から1千年

後に一人目の救世主が現れ、2千年後に二人目に救世主が現れ、3千年後

に最後の救世主が現れるとされます。

 

また、仏教においては、弥勒菩薩について説かれています。弥勒は、現在

仏であるゴーダマ。ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダになることが約束

された菩薩で、ゴーダマ・ブッダの入滅後56億7千万年後の未来にこの

世界に現れ悟りを開き、多くの人を救済するとされます。

 

ところで、ブラバッキーの神智学や、シュタイナーの人智学では、「キリ

スト」というものに対し、これらとは異なる考え方をしています。よって、

ここで神智学、とりわけ、シュタイナーの考え方を少し紹介しておきたい

と思います。

 

まず、その根幹となるのは、救済神と犠牲神(内なる神)という二つの概念

です。救済神とは、人類の前に神人(聖者)として現れ、霊的な教えを説く

神であり、犠牲神というのは、死んで物質の中に飛散し、人間の霊的本質に

なる神々だということです。

 

そして、「キリスト」とは、ロゴス(人智学の主神で、太陽に住む六柱の神々、

父・子・聖霊という三つの測面があるとされる)の「子」に相当する部分の

ことで、救済神と犠牲神が合体した存在とされます。

 

具体的には、ロゴスの一部で救済神として活動している部分が、イエスが

30歳のとき彼に宿った。つまり、十字架にかけられたとき、古い弥勒は

死んで、新しく再生した弥勒は人間の意識を地球意識に結びつけて完成

させるための教師となった。さらに、犠牲神、つまり、ロゴスの一部で、

地球意識の核となった部分(アフラ・マズダー、オシリス、デオニュー

ソス、ヴィシュヴァ・カルマンなどと呼ばれた)も、イエスが30歳の

とき、イエスに宿ったということです。

 

なお、シュタイナーは、ゾロアスター(ザラスシュトラ)について、彼が

パレスチナでイエスの身体に宿ってキリストの受肉を準備し、キリストが

イエスに宿ったときに抜け出て、マイスター・イエスになったとも述べて

います。

 

また、ソロモン系のイエスとナタン系のイエスという二人のイエスが登場

するのも、シュタイナーのイエス=キリスト論の特徴とされます。

 

さて、それでは最後に、水波一郎氏の霊魂学においては、キリストという

存在はどういうものかを紹介しておきたいと思います。

 

水波霊魂学によると、イエス師は、この物質の世界ではキリストと呼ばれ

ているが、霊的世界でもキリストと呼ばれているようです。

 

ただし、物質界ではキリストはイエス師だけであるが、高貴な霊魂の世界

では、キリストは6名おられるということです。つまり、キリストとは

称号であり、霊魂の世界のキリストとは、人類を霊的進歩に導いてくださる

偉大な魂だということです。

 

イエス師のほかは、我々が良く知るシャカ師、クリシュナ師、そして、

ホー師、ヨーイ師、ラ・ムー師と呼ばれる魂がおられるようです。

この6名は特別な魂であり、かつてそれぞれ特別な使命を持って地上に

降り、人として生きたとされます。

 

肉の身体をまとって地上に降りられたが、その正体は他の霊魂と大きく

異なっていたのです。つまり、霊魂としての価値が地上に生まれる前から

とても高かったのであり、そのために、彼らは自然な法則のままでは物質

の世界に誕生することはできず、6名が協力しあって物質の世界に生まれ

られたということです。

 

たとえば、イエス師が地上に降りられたときは、ラ・ムー師が高貴な霊的

世界で中心的な指導霊として活動をされていたようです。

 

この6名の高貴な魂は、実は、すぐにでも幽質の世界を飛び越えて、霊質

の世界へ参入すべき存在であったのであるが、それをされなかった。それは、

人類の霊的救済という、彼らの強い意思があったからだそうです。

 

それだけではなく、霊質の世界で成長したイエス師、そして他のキリスト

は全員、いつでも神霊の世界に住まうことも可能であったのです。しかし、

今でもそれをしておられないのだそうです。

 

なぜなら、霊魂として活動したほうが物質界の人間に関与しやすいからで、

神霊の世界に住むとは、名実ともに神霊になってしまうことであり、物質

の身体をまとった人間との接点をさらに遠くしてしまうからです。

 

霊魂は進歩して上の世界に入るのが自然であるが、彼らはあえてそれを拒否

しておられるのです。それ以外に人類に救いが見えないからだそうです。

 

このように、イエス師、シャカ師、そしてクリシュナ師、さらに、ラ・ムー

師、ホー師、ヨーイ師といった偉大な魂たちが地上を見つめておられるよう

です。しかしならが、彼らの魂は高貴すぎて地上の人間の霊的感知力では

理解し得ないのであり、そのためにこそ、その間をつなぐ霊魂たちが存在

しているとされます。

 

もっとも、人間は高貴な存在にただ依存するばかりではいけないという。

とかく、人間は誰かに助けてもらうことばかり考えているが、自分自身

が努力をせずに、すべてを他に任せるべきではないのです。

 

人間の社会にはそこまで要求しないのに、神や霊魂には過大な要求をする

が、それは明らかに法則の無視であるという。高級な霊魂たちは、人間の

自由意思を守るために、真に求める魂にしか力を流せないのだそうです。

 

人間は、直接、至上の神を求めようとするが、至上の神とは、全く捉えら

れないゆえ、人間には一偶像にすぎない存在であるとも言えるようです。

よって、人間はまずイエスやシャカ、つまり、かつて人間として物質界に

生きた過去のあるキリストをこそ知らねばならないのです。そして、その

ためには、まず自分たちの守護霊や指導霊を知らねばならないのです。

イエスやシャカもやはり遠い存在だからです。

 

そのままでは、人間の霊的身体はキリストの力を受け取ることができない

のです。キリストや高級な霊魂団の上位の方に思いが届くためには、霊的

な身体が相応に成長し、霊的な意識がそれにふさわしいまでに進歩を遂げ

ていなければならないということです。

 

とにかく、我々一般人は、まず、守護霊や指導霊といった霊魂たちとの

密接な交流を図るべきであり、そして、そのためには、霊的トレーニング

によって一刻も早く自分自身の霊的な状態を良くすることが必要だという

ことです。

 

霊的な身体の健全化と成長、これが、なによりもまず物質界に生きる人たち

が行うべきことであり、人生の目標とも言えることだとされます。

 

そうすれば、やがて、霊的な存在としてのイエス師が、キリスト方が本当

の姿を現すかもしれないのだそうです。

 





 霊魂イエス上

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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
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