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「霊界通信」の真偽-ホワイト・イーグルと神智学2-


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神への帰還 



ホワイト・イーグルの書物で『神への帰還』というのがあります。原題は

Beautiful Road Home」で桑原啓善氏による邦訳ですが、もう一冊、大内

博氏の翻訳本が出ていて、その邦題は『故郷に帰る道』となっています。

タイトルの付け方一つで、印象が大きく変わるものですね。

 

さて、今回は、ホワイト・イーグルにとどまらず、スピリチュアリズム全体

と神智学との関わりについて述べたいと思いますが、その前に、もう少し

ホワイト・イーグルと神智学の関係について補足しておきたいと思います。

 

ホワイト・イーグルは、しばしばイエスの言葉を引用していますが、彼が

キリストというとき、それはナザレのイエスという歴史的な人物そのもの

ではなく、その内実であるキリスト神霊、太陽ロゴスというものにウエイト

が置かれているようです。

 

ホワイト・イーグルは『光への道』の中で次のように述べています。

 

人類が意識の進化の階段を昇ってゆくと、太陽意識、つまり太陽ロゴス意識

の段階に至るとしながら、<皆さんは神の子とかキリストとかいうと、どう

も上面だけで話をします。皆さんのキリストとは観念なのです。一部の人々

だけがキリスト霊を、優しく柔和で愛に満ちたもの、自分の中にあるものと

完全に一つであるものとして認めています。あなた方には、あの太陽ロゴス

のはかりしれぬ光輝は、とてもじゃないが理解はできません。太陽ロゴス

とはすべての人間の生命なのです。そして、この惑星と太陽系の生命なの

です。>

 

<この太陽力が、程度は少ないが皆さん内にあることを憶えていなさい。

それは内在しているのです。><魂が太陽ロゴスの、即ち天界の輝く太陽で

あり、父なる母なる神の一人子である太陽ロゴスの崇敬と讃仰を感じる時、

魂は自分のうちに湧き立つものを感じるでしょう。>

 

これだけでは少し分かりにくいのですが、この太陽ロゴスとは何かという

とシュタイナー人智学などにおいて、主神とされるものです。このロゴスは

太陽に住む六柱の神々の集合体であり、本来は七柱であるが、七番目は月に

いるとされます。太陽に住む六柱の集合体(ロゴス)には、父と子と聖霊と

いう三つの側面があり、父(第三ロゴス)は自然界を形成し、子(第二

ロゴス)は生命を生み、聖霊(第一ロゴス)は人間に意識を授けたという

ことです。ロゴスの最も霊的な部分(アートマー体)は太陽に、生命霊

(ブッディ体)は地球の大気に、知的な部分(メンタル体)は人間の中に

いるとされます。七番目のヤーウェは、ロゴスの一部を細分化して、人類

に与えたのだそうです。

 

なお、神智学では、ロゴスは両性具有で、七柱の神々を内に秘めていると

されます。そして、これをさらに救世神と犠牲神に分けているのは、前回、

紹介したとおりです。

 

ここから、ホワイト・イーグルは、キリスト=太陽ロゴスという人智学

(神智学)の概念をほぼそのまま踏襲していることがわかります。人智学

(神智学)の論説を踏まえて始めてホワイト・イーグルが言わんとする

ことが理解できるのです。

 

さて、もう一つ、ホワイト・イーグルと神智学の関係で気になることが

あります。それは、「正しいチャクラの開き方」が説かれていることです。

チャクラとは、もとはヨーガで使用された言葉で「輪」の意味し、エネル

ギーの七つの結節点を指します。

 

ホワイト・イーグルは、次のように述べています。

 

<日常生活で右に述べた素朴な霊的な生き方(自己を棄て、相手の立場に

立って考え、英知と、日常生活を愛と奉仕に生きるという生き方)をひた

すら実践すれば、魂の窓は浄化されざるを得ないし、窓(チャクラ)は

天界の生命に向かって自然に開かれざるを得ないのです。たとえば、本当

の愛と奉仕を実践すれば、心臓のチャクラが刺激されます。すると咽喉の

チャクラが開き光を放射し始めます。また頭のチャクラが優しく目覚め

させられ、開いて、神智の通路となり始めます。また、体の下方にある

下級三つ組チャクラも、前より美しい形をとり始め、上級三つ組みチャクラ

のコントロールをうけその支配下に入っていきます…即ち、キリスト人、

内在の神の英知と愛と力の統制下に入ります。>

 

ただし、危険を伴うチャクラの開き方があるとも述べています。魂の前

には、二つの道が開かれていて、一つは、愛の道、すなわち深遠の道。

一つは、強制して開く、すなわちオカルト的な道があるというのです。

 

<強制開花の場合は、多大の注意が必要とされます。強制開花は慎重さが

ないといけません。いったん花が開いてもしぼむかもしれないのです。

ですから、花がしっかり命と力を持つまで、花をつけた木は注意して扱われ

ないとだめ>だということです。

 

また、人類には、小イニシエーションと大イニシエーションの二つのタイプ

のイニシエーションがあり、小イニシエーションの方は、人間の生活の中で

次々と体験されるが、大イニシエーションの方は、明確な霊的経験だと述べ

ています。

 

<大イニシエーションは、見習の道を歩いてきた人たちが体験します。この

イニシエーションで上位の三つ組のチャクラ、心臓・喉・頭のチャクラが

鼓舞されます。しかしこの三点を、下位三つ組のチャクラ、太陽神経叢・

仙骨・根のチャクラと切りはなしてはなりません。下位の三点も大イニシ

エーションと関係があります。これらすべての光点は、道を進むにつれて

生命と力を増していくのです。>

 

<人間の霊は、小さな光のようなもの、つまり、太陽から出た生命の火花

です。太陽といっても空にある太陽ではありません。その太陽の背後に

ある太陽、つまり永遠なる宇宙霊太陽です。われわれすべてはその太陽

から息吹き出た小さな炎のようなものです。そうして進化の過程の間に、

この小さな光は成長し、遂には光眩しい太陽星、キリストになります。>

 

さて、前回も紹介した神智学徒のリードビーターは、『チャクラ』という

書を著わしていますが、それの主な特徴は、伝統的なヨーガの修行法が

神智学の理論に照らして再解釈されていることです。

 

古典的なヨーガの理論においては、七つのチャクラが段階的に覚醒する

にしたがって、修行者の魂が大宇宙と合一してゆく経緯として描かれるが、

リードビーターはそれを、ブラヴァツキーの七段階の周期説や世界構造論

と融合させているのです。

 

彼によれば、世界の頂点に位置する神は「ロゴス」と呼ばれ、そこから

流出する三つの力によって、七層からなる世界と身体が形成されるとされ

ます。伝統的なヨーガにおいては、「微細身」や「原因身」といった身体

上の用語が存在するが、リードビーターの『チャクラ』においては、

それらが「アストラル体」や「エーテル体」といった神智学用語に置き

換えられています。

 

リードビーターは、人間はチャクラを覚醒させることによって、肉体を包み

込む霊的身体の存在のみならず、宇宙における霊的次元の多層性を知覚する

ことができる、つまり、霊能力を開発することができると述べているのです。

 

ここからも、ホワイト・イーグルがヨーガ理論を再解釈した神智学をさら

に再解釈して流用していることが伺われます。

 

なお、水波霊魂学では、水波一郎氏の著書『瞑想の霊的危険』のなかで、

瞑想の副作用について、また、チャクラの開発にかかる危険性について

詳しく述べられていますので、関心のある方は読んでいただきたいと

思います。

 

さて、かなり前になりますが、「神智学とスピリチュアリズム」という

タイトルで、その時は、両者の違いについて述べました。

 

そこで、神智学の側からなされた批判として、スピリチュアリズムの霊媒

は、自我の断絶があり、受動的で、主体性を放棄している、つまり、意志

を持たない。あるいは、高貴な霊的存在からのメッセージではなく、死後、

あまり年月の経過していないような一般的な死者からのものである、

よって、論理的、哲学的な体系を持たない、などというものでした。

 

一方、スピリチュアリズムの側からは、地上の人類に必要なのは神学の

ような大げさで難解な哲学ではなく、どこの宗教においても説かれるに

至ってない単純な真理であると言った反論や、死後間もない霊魂が、

「死は終わりではない」と語ることは、語られる内容とあいまって、

少なくとも残された身近な者たちにとって、死後生存の信憑性を高める

ための最初の一歩として大きな意味を持ち得る、といった主張がなされた

のでした。

 

しかし、今度は、逆に共通点に目を向けると、上記のような表面的な

対立の裏に、なるほどと思える類似点が多々浮かび上がってくるのです。

 

特にホワイト・イーグルと神智学の関わりについては、ブラヴァツキーの

生涯における思想遍歴をたどると多くのヒントが与えられると思います。

 

(ヨーロッパ期)

青年時代にヨーロッパや北アフリカやアジアの各地を遍歴する過程で、

西洋オカルティズムの知識を習得。高名な霊媒の助手などを務めながら

エリファス・レヴィの魔術論を始め、グノーシス主義、新プラトン主義、

ユダヤ教カバラ、ドイツ神秘主義等の教義を学ぶ。

(アメリカ期)

アメリカに渡り、心霊主義(スピリチュアリズム)の活況を目にする。

当時の社会では、ダーウィンの進化論とキリスト教の教義である創造論

との対立が生じていた。ブラヴァツキーは、科学と宗教の矛盾を解決する

ため、神智学を創始する。

(インド期)

神智学協会の本部がインドに移転される。人種・文化論として、アーリ

アン学説が取り入れられる。ヒンドゥー教や仏教の影響が濃厚となり、

神智学の体系に輪廻転生論が組み込まれる。

 

とにかく、ブラヴァツキーは、当初は、ヨーロッパで最高レベルの霊媒で

あり、心霊実験に参加するなど、スピリチュアリズムとは友好的な関係に

あったのです。しかし、だんだん対立が生じてきて、ブラヴァツキーに

疑いの目が向けられることになります。その結果、心霊研究協会の厳しい

検証が実施されることになり、ブラヴァツキーの虚偽性を非難する報告書

の発表がなされるのです。

 

これにより、神智学協会は大きな打撃を受け、ブラヴァツキーはインドを

退去し、イギリスに渡るのですが、それでも彼女に対する非難は止まず、

世評から距離を取るようになり、書物の執筆に没頭するようになったと

いうことです。

 

これらのことから、神智学とスピリチュアリズムは、お互いに対立しな

がらも、影響し合っていたことが伺われます。

 

しかしながら、それでもなお、なぜ、シルバー・バーチがホワイト・イー

グルを同志と言ったのかについては、しっくりしないものが残ります。

 

あえて、共通項を探すとすれば、両者とも、とにかく、愛、つまり、愛の

思い、愛の行為を最も強調しているように思われます。

 

シルバー・バーチは、愛というものを核としてスピリチュアリズムという

枠組みの中で過去の諸説を折衷し、それをつぎ足して大衆化しようとした

存在であり、ホワイト・イーグルのほうは、神智学や西洋神秘主義の枠内

で過去の諸説をつぎ足して大衆化しようとした存在である、と言えるのでは

ないだろうかと思われます。

 

なお、誤解のないように言っておきますと、愛ということを強調するから

それらは高貴な存在からの通信であるということではないということです。

 

水波一郎氏の監修によるHP『霊をさぐる』の「霊をさぐるためには?」

では、本物の霊界通信かどうかを判断する手掛かりについて次のように

述べられています。

 

<何かと『愛』を強調する霊界通信は偽者である可能性が高い。>

 

「愛という言葉は誰であっても本物だと感じやすい言葉なので、まずは、

愛を語るものなのです。誰かを殺せとか、地球を征服せよとか、誰が見

ても悪人に見えるような悪人は、単なる精神の病気と言えます。偽物は

基本的に、「本物であるかのように見せたい」のです。」

 

<精神論、倫理道徳が多い(具体的な技法や技術を示さない)霊界通信は

偽者である可能性が高い。>

 

「偽物は頭で勉強した知識だけですので、具体的な技法や技術については

分からないのです。その為、いわゆる訓示ばかりになってしまいます。

思想的な事は各種の宗教や神秘思想を勉強すればするほど高度に語ること

ができるからなのです。」

 

したがって、「日本でも西洋でも、高級な霊魂から通信を受けたとして

有名になっているものがいくつもあります。ですが、霊魂学の視点から

見ますと、それをそのまま信じてはいけないように思われます。」<西洋

でも高級な霊魂の集団が霊媒現象に関与した事は確かなようです。ですが、

実際には失敗が多く、成功しても、日本で有名になっていない可能性も

考えられるのです。」「個々には一定の価値のある通信もあるでしょうが、

もう時代が変わりましたので、どの通信も、そろそろ注目する必要もない

のではないかと思われます。>とのことです。

 

とにかく、他者を押しのけてでも自分が物を食べなければ生きられない、

他の生命体を犠牲にすることによってしか生きられないというこの物質

世界において、その厳しい現実を直視せず、ただ観念的に愛ばかりを

叫ぶことは、自己欺瞞にしか至れないということなのでしょう。








「瞑想の霊的危険」 
 (水波一郎 著 アマゾン 発売)











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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

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