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ズルワン教・ミトラス教の神話-ペルシャ神話3-


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ミトラ像 



ズルワン教(ズルワン派)・ミトラス教(ミトラ(ミスラ)信仰)の神話

に入る前に、ゾロアスター教の終末論の特徴について触れておきたいと

思います。

 

さて、ゾロアスター教の終末論は、二部構成になっているとされます。

つまり、死に際しての個体の終末と、世界の終末があるのです。

 

まず、個体の終末から見て行きますと、死後の生、つまり、死後の魂として

の存続という考えは、早い時期からペルシャ思想において支配的であった

ようです。人間は死ではなく生のためにつくられたのであり、永遠は単に

約束された未来の応報ではなく、それは人間の真の居城であるとされるの

です。

 

後期のテキストによると、人は死後、次のようなプロセスをたどります。

 

<死後、魂は三夜の間、死体の周りをさまよう。この三夜は、死者の魂に

とって反省のときであり、肉体の死に際しての懺悔のときであり、肉体と

魂の再会を熱望するときだとされる。この間じゅう、悪魔は理由なく罰を

加えようとするため、死者の魂は規律の神スラオシャの守護を必要とし、

死者の親族が供物や祈りで守らなければならない。>

 

<三夜のあとの明け方、魂は裁判を受けるために進んでゆく。個人の生前

の善き行いと悪しき行いは、ガロードマーン(頌歌の家)に保存されて

いて、裁判官であるミスラ、スラオシャ、ラシュヌの目の前で秤にかけ

られる。各人は自分自身の生活にもとづいて公平、厳格に裁かれる。>

 

<もし、善き思い、善き言葉、善き行いが、悪しき思い、悪しき言葉、

悪しき行いよりも重ければ、魂は天に昇り、もし、悪が善より重ければ、

魂は地獄に送られる。>

 

<魂が裁きの場を離れると、一人の案内人に出会う。正信の徒は、芳香を

発する風と、今まで会ったこともない美しい娘に迎えられるが、邪悪な

魂は、裸のもっとも忌まわしい病気を患う老女に迎えられる。>

 

<魂はそれからチンワト橋に進む。この橋は、二つの面を示す。正信の徒

には、橋は広くて渡りやすい。しかし、邪念の徒には橋は剣の刃のように

なる。正信の徒の魂が橋を渡るとき、ヤサダたちを見る。勝利の火は暗黒を

追い払い、その間、魂は浄化されて天に導かれる。邪念の徒の魂も橋を渡る

ように強いられ、まっさかさまに地獄に墜ちてあらゆる苦しみを受ける。>

 

なお、一人の犠牲が多くの罪を償うというキリスト教の思想は、ゾロアスタ

ー教では受け入れられないし、地獄における永遠の刑罰という考えもない

ようです。ゾロアスター教の地獄は非常に厳しいが、その犯罪にふさわしい

矯正的な罰が行われるのであり、一時的なものであるとされるのです。

 

さて、では、世界の終末とは、どのようなことなのでしょうか?

 

ゾロアスター教の伝統によると、世界の歴史は1万2千年にわたるとされ

ます。最初の3千年は原初の創造時代で、つぎの3千年はオフルマズドの

意思のまま過ぎる。第三の3千年期は、善と悪の意思の混合した時代となる。

そして、第四の3千年期にアフリマンは滅亡するのです。

 

今は、悪が敗北する最後の時代で、それはゾロアスターの誕生で始まるが、

さらに四つの小時代に分割される。それは金属で象徴され、善き宗教が

ゾロアスターにより啓示された黄金時代、彼の保護者の王が彼の宗教を

受け入れた銀時代、ササン王朝の鋼時代、この宗教が衰退しつつある現代

の鉄時代、となります。

 

悪が滅びるのは今の時代とされるのですが、悪との闘争は振り子の運動の

ようなもので、最初は善が、続いて悪が勝利者となります。この3千年の

最後の時代、ゾロアスター教徒は千年ごとに3人の救世主が出現するのを

期待しています。

 

ある文献によると、ゾロアスターは紀元前6百年頃に存在したとされる

ので、現在までに第一と第二の救世主が出現したことになるようです。

 

ともかく、各種のテキストは、救世主の出現と悪の最終的敗北について述べ

ているようですが、それはキリスト教などの黙示や預言とは異なり、儀式的、

呪術的なニュアンスを持った表現だということです。

 

また、これらを終末の出来事と呼ぶのは正確ではないようです。それを

ゾロアスター教徒は更新と呼ぶようです。世界は、アフリマンに攻撃

される前の、完全な状態、いや、それ以上のものに復元されるのです。

 

さて、すこし長くなりましたが、次にズルワン教(ズルワン派)とその

神話に移りたいと思います。

 

ズルワン教とは、オフルマズドではなく、無限時間を意味するズルワン

(ズルヴァーン)を最高神とするもので、それはゾロアスター教以前の

伝承であるとする説もあるが、通常、アケメネス朝時代、バビロニアや

ギリシャの宗教思想の影響を受けて発展したと考えられています。

 

そして、パルティア王朝時代を経て、ササン王朝時代には、ズルワン教は

ペルシャ人の宗教生活の前面に現れ、イスラム時代まで持続したという

ことです。それは別個の分派というよりは、ゾロアスター教会内部の知的

運動として栄えたようです。

 

ズルワンは、善悪両方の究極的根源で、オフルマズドとアフリマン兄弟の

父であるとされます。つまり、絶対者はその存在のなかに、善悪の矛盾を

内包しているのです。ズルワン教徒は、(正統派)ゾロアスター教の二元論

の向こうに統一性を求めたということです。

 

さて、ズルワン教の神話は、再構成するのが難しいとされます。という

のは、純粋にズルワン教的なテキストは存在せず、教会外部の観察者の

記述や、(正統派)ゾロアスター教徒と時々行った論争しか残っていない

ようなのです。

 

そんな中で、外国人、つまりアルメニア人の記録によると、宇宙論の創成

は次のようになります。

 

<大地と天空が成立する以前、偉大な究極的存在であるズルワンだけが存在

した。彼は男の子が欲しいと思い、千年間、供犠し続けた。供犠は、ズル

ワンが誰か他の存在に祈りをささげるという意味ではなかった。ペルシャ人

の信仰では供犠はそれ自体で功徳があり、力を持つとされたからである。>

 

<しかし、千年たって、彼は自分の願望の成就に疑問を持ち始めた。彼は、

天空と大地を創造することになる息子、オフルマズドをもうけるという供犠

の力に疑問を持った。疑念を持った瞬間、彼は双子を身ごもった。という

のは、まだ男女未分化の状態であったズルワンは、両性具有であったから。

双子は、彼の願望の成就であるオフルマズドと、彼の疑念の化身であるアフ

リマンであった。>

 

<ズルワンは、どちらの息子であれ、子宮から最初に出てきた者に、王権

の贈り物を与えると誓った。全知という偉大な能力をすでに発揮していた

オフルマズドは、このことを知り、兄弟のアフリマンに知らせた。そこで、

アフリマンは、子宮を裂いて父の前に現れ、自分がオフルマズドだと名乗る

が、ズルワンは、彼が暗く、悪臭を発するとして難色を示す。>

 

<次に、オフルマズドが出てくると、彼は自分の願望の成就と認めて、彼に

祭司の象徴であるバルソムの小枝の束を渡した。アフリマンは、大いに

嘆いたが、最初に生まれた息子に王権を渡すという誓いを破らないために、

ズルワンはアフリマンに9千年間の世界の統治権を与えた。オフルマズドに

は、彼はそれ以上の統治権を与えたので、オフルマズドは、天空と大地を

創造した。>

 

その後は、二元論的(正統的)ゾロアスター教におけるのと同じように、

オフルマズドは、ズルワンのなかのあらゆる善きものを、アフリマンは、

あらゆる悪しきものを代表して闘争を開始することになるのですが、世界

の歴史が1万2千年とされるのは同じとして、最初の9千年期は悪の支配

する時代で、最後の3千年期は悪が支配する時代とされるのです。

 

そして、仔細に見ると、同じような善と悪の闘争といっても、次のような

相違点が出てきます。

 

二元論的ゾロアスター教では、オフルマズドとアフリマンは、メーノーグ

(不可視的、霊的)界とゲーティーグ(可視的、物質的)界の両世界で

それぞれ軍団を保持し、対等に渡り合っているとされるが、ズルワン教

では、オフルマズドはメーノーグ界とゲーティーグ界の両世界での軍団を

そろえているものの、アフリマンはメーノーグ的軍団を持たず、ゲーティ

ーグ的軍団のみで戦うとされます。これでは最初から優劣は明らかで、

アフリマンはゲーティーグ的軍団を駆使してオフルマズドのゲーティーグ

的軍団を物質的に汚染するのが精一杯ということになります。

 

また、二元論的ゾロアスター教では、対等の軍団を指揮するオフルマズド

とアフリマンは延々と光と闇の闘争を繰り返し、終末の日にいたるまでその

決着はつかないのであり、善悪の闘争こそが宇宙の本質とされる。しかし、

ズルワン教では、退却したアフリマンはそのままオフルマズドのメーノーグ

的軍団によって捕囚されてしまい、大天使の監視のもとで幽閉されてしまう

のです。

 

このように最初期の段階で善神が悪神にかなりあっけなく勝利を収めて

しまい、重点が「闘争」より「約束」、「周期」の方にあるズルワン教は、

宇宙の本質が善と悪の闘争にあるとする完全な二元論とは異なったものに

なっているのです。

 

さて、それではミトラス(ミトラ)教とその神話とはいかなるもので

しょうか?

 

ミスラ(ミトラ)は、様々な時代の、多くの異なった国々の歴史のなかで、

重要な位置を占める神であるとされ、その信仰は、一時、西方ではイング

ランドの北部、東方ではインドまで広がったようです。

 

古代インドでは、ミトラ(友情、契約)として現れ、もう一柱の神、ヴァ

ルナ(真実の言葉)とともに、ミトラ・ヴァルナという形で勧請されます。

これら二神は、ともに人間的な表現で描写され、地上の馬車と同じ飾りを

つけた輝ける馬車に乗る。二神は、千の柱、千の扉のある館に住むとされ

ます。ただし、二神についての物語や神話というものはなく、これらの

描写は、ただこれら二神の特徴を引き出すためだけに用いられています。

 

ペルシャ(古代イラン)のものとしてはミスラ讃歌なるものがあります。

インドの場合と同じように、ミスラ(ミトラ)は創造主によって建てられ

た壮大な宮殿に住んでいて、そこには悪しき神々によってつくり出された

夜も暗黒もなく、寒風も熱風もなく、死にいたる病気もなく、穢れもない、

とされます。

 

そして、ミスラは、金と銀の蹄鉄を打った、四頭の不死の白馬に曳かれた

馬車に乗って駆ける。彼は、ハラー山(アルブルズ山の異名)を越えて

やってきた最初の神、黄金色の美しい山頂を捉えた最初の神、この山頂

からこの全能の神は、イラン人が住む全国土を見渡す、と讃えられます。

 

ミスラは死後の魂を裁き、悪魔たちが罪人に必要以上の罰を科さないように

する神で、銀の矛を持ち、金の甲冑を身につけ、百のこぶと刃のついた棍棒

を持ち、悪しき神々や人間の頭を打ち砕く強力な肩を持つ。よって彼の前

では、アンラ・マンユも、悪意にみちたアエーシュマも、すべての悪神たち

は、恐れてひるむのだそうです。

 

このように、ミスラ(ミトラ)は、インドとイランがまだ未分化だった時代

から、古代インド、イラン人の間では大変な崇拝を受けた神格であったのです

が、ザラスシュトラの宗教改革の結果、一時、ゾロアスター教のなかでは六大

天使のなかにも入らない、単なるヤサダ神族の一柱にまで落とされてしまうと

いう状態に至るのです。

 

しかし、ミトラ崇拝そのものは廃れることはありませんでした。その後、

なぜかローマにおいてミトラス教の主神として復活することになるのです。

 

なぜそうなったかについては、よくわかっていません。ペルシャ王たちの

よる征服以来、ペルシャの伝統の孤立地帯を形成してきたポントス、カッパ

ドキア、コマゲネなどの衛星国に住むペルシャ人たちが、ローマ軍により

徴兵され、ローマ帝国全土に、このペルシャの神の信仰を普及させたのでは

ないかと言われています。

 

ミトラス教は、当時のローマの人たちには「ペルシャの秘儀」と考えられて

いたようです。ミトラス自身が「ペルシャの神」と言われていたようですし、

ミトラス教の教義をゾロアスターに帰する人もいたということですが、ミト

ラス教の秘儀については、よくわかっていないのが現状です。

 

そんななか、ミトラス神の神殿には、雄牛を殺すミトラスを表すレリーフや

図像が描かれていて、それが秘儀の中心的神話を構成しているとされますが、

多くの研究者たちは、ずっとこの神話の場面を、ゾロアスター教の創世神話

に関連して解釈してきた、つまり、善悪の観念によって解釈しようとして

きたようです。

 

しかし、その後の学術的研究により、かなり変化を遂げてきたようで、ミト

ラスの祭儀や神話を占星術的な意味合いを持つものとして解釈されるよう

になってきたということです。

 

なお、このようなミトラス神話の解釈の根拠とされるのが3世紀の新プラ

トン学派の哲学者ポルピュリオスの記述などですが、それによると、秘儀

の加入者が連れてこられる場所は神殿であるが、ミトラス教徒は、彼らの

神殿を、万物の創造者であり、父であるミトラスが創造した世界洞窟の

「表象のなかにある」神殿と考えた。このために、ミトラス教徒は神殿には

できるかぎり洞窟を使用した。あるいは、少なくとも神殿に洞窟の外観を

与えた。そして、階段を降りて入口に入るようにして、地下の感覚をつくり

出した。世界洞窟は、ミトラスが雄牛を殺す舞台装置とされた。

 

また、ミトラス教のイニシエーション(秘儀参入)には七つの段階があり、

それぞれが七つの星(水星、金星、火星、木星、月、太陽、土星)の一つ

一つによって保護されている。魂の天上への旅にとって、図像は、地図で

あると同時に暦でもあり、時と季節は天上の空間と同時に現されている。

ミトラスは太陽であり、儀式では、彼は不敗の太陽と呼ばれ、雄牛は月と

される。太陽と月は、魂が物質世界に下降し、最終的に開放され、再び

天上に上昇するときの、魂の出発と帰還の作為者であり、場所であると

見なされた、ということです。

 

とにかく、近年の研究では、ミトラス教の信仰者たちは、人間が誕生する

とき、魂がこの世に降りてくると信じ、宗教的探究の目的は、魂が再びこの

世から上昇を成し遂げるところにあったということです。儀式における

階段の上昇は、魂の天上への旅に相当するとされ、魂は加入者がイニシ

エーションの階段を上昇して行くように、天の七つの門を通って上昇する、

と考えていたようです。

 

よって、洞窟で雄牛を殺害するレリーフは、救済の手段とその時点を表す

ものであったのみならず、この世に生まれ、再び天上へ帰還するとき、

救済が実現する力を描いたものであったとされます。

 

それはともかく、ローマのミトラス神話の真の意味がいかなるものであれ、

ミトラは、その信仰が何世紀もの間、いくつかの大陸に広がった神である

ことは確かだろうと思われます。そして、古代インド、ペルシャのみならず、

現代のインド、現代のゾロアスター教においても崇拝され続けています。

 

ミトラは、真実と秩序の神、虚言の敵、虚偽の破壊者、あらゆるものの創造

者であり父、人間を救済するものとして、およそ4千年の間、豊かで変化に

富んだ神話の中心的存在となってきたのです。







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ジャンル : 心と身体

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