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「古代ギリシャ宗教の精神」-ギリシャ神話2-


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前回は、ギリシャの神々の誕生とその変遷を見てきましたが、そこには、

自然現象の神格化の段階があり、そして、その後、神人同形論の概念から、

一見、人間と区別がつきにくいほど近似した神々の物語が生まれてきた

ことがわかります。

 

しかし、そうなると、我々は、ギリシャ人が神々を人間に近いものと考え

てきたのではないか、或いは、あまり崇高な存在として見ていなかった

のではないかというような早とちりをしてしまう危険性があります。

 

そこで、今回は、W.F.オットーの『神話と宗教-古代ギリシャ宗教の

精神-』に依拠しながら、決してそうではないということを明らかに

したいと思います。

 

さて、ギリシャ宗教は、ユダヤ=キリスト教から見て、複数の神が人間の

姿をして存在し、自然に密接していて道徳的にもいかがわしいもの、

つまり、宗教などではない似非宗教と考えられていたようです。

 

そこで、オットーは、まず、<われわれはギリシャ人の建築、彫刻、文学、

哲学、科学など彼らの残した偉大な作品をほめたたえるが、ギリシャの

神々に対してもなぜそうしないのか。そのような不滅の作品群もわれわれ

が低く見るあのギリシャの神々がなかったら、現にあるようなものには

決してならなかったのではないだろうか。数千年後の今日においても、

見る人の心を高め、敬虔の念さえ抱かせる作品を生み出した創造力、その

創造力をよび起したものは、あの神々の精神以外の何ものでもなかったの

ではなかろうか。>よって、<神々をして素朴な妄想から生まれたものと

する一般の見解にどうして甘んじられよう。それは未熟な思考様式と見な

され、その誤りは人間悟性が未発達な段階にあったからだと説明するとき、

一番大きな価値をもったものを見失うことになる>と述べています。

 

そして、これとは別の見解を提示するとして、<神は発明されるものでも、

考察されうるものでもなく、また表象されるものでもなく、ただ経験に

よって知りうるだけである>といい、<神的なものは、それぞれの民族に、

それぞれの仕方で現れ、彼らの現存在に形相(すがた)を与えた。こう

して初めて各民族がそれぞれしかるべきものとなり得たのである。だから、

ギリシャ人も彼らに固有の神経験を受け取ったに違いない。われわれは、

彼らの作品を高く評価しているのだから、そのギリシャ人に対して神的な

ものがどんな現れ方をしたか、と問うことはわれわれにとってなおさら

重要なことに違いない>としています。

 

ところで、オットーは、<古代ギリシャの神々が軽んぜられた理由として、

まず、それ以前のすべての宗教が持っていた寛容を捨てて、自分だけが

真理であることを標榜するような宗教が勝利をおさめた>ことにあると

言います。もし、<ギリシャ的な神思想の持つ無類の創造力が初めから

注目されていたならば、異教であるギリシャ(ならびにローマ)の宗教

のもとにあった大いなる時代は、その後のキリスト教の時代より間違い

なく敬虔であったということだけは認められたであろう>と述べています。

 

より敬虔であるということは、神に寄せられる想いが、はるかに威厳を

もって日常一般の人間的現存在を貫いていたということであり、ある特定

の日、特定の時間だけが神への勤めに捧げられ、あとは世俗の営みが別個

のそれ自身の法則にしたがって存分に翼を伸ばすといった具合には神事

と世俗の存在とが分離していなかったということだとしています。

 

しかし、ギリシャの神々はキリスト教の唯一の真実の神の概念と相容れ

ないため、それらはデモーニッシュな力ということにならざるを得ず、

近代にいたるまで、人を誘惑する魅力にみちた不気味な存在としての

威光を保持してきたにとどまったということです。

 

西洋の神話研究の分野においても、ロマン主義などの台頭によって、神話

とは、人間の精神が持っている根源言語であり、人間がいつでもなし得る

経験の比喩以上のもの、つまり、ある特定の世界時間にのみゆるされた

存在の開示であることが理解された時期があったが、その後、勢力を得た

浅薄な啓蒙主義によって、真正な神話研究は止めを刺されてしまったと

しています。

 

啓蒙主義にとっては、それらは児戯にも等しく、問題にするに足らぬもの

であり、古代の崇高な祭儀と神話の背後には、一考に値するほどのものは

一つもないということにされてしまったということです。

 

また、オットーは、19世紀の後半は、自然科学とダーウィニズムが台頭

した時代でもあり、ギリシャ宗教をはじめとする神話的宗教に関して、

今でも一般に受け容れられている考え方が確立した時代でもあると

しています。

 

そこでは、人間の思考力は初期の段階から、以後、数千年の間に進化して

きたとする理論が真正の宗教研究にとって代ったが、それは、発端は能う

かぎり粗野なものでなければならないというのが自明の前提とされ、異教

の神々に対する信仰は、ほかならぬ粗野な誤謬から生まれたのだという

ことを明らかにしようとしたのだとしています。

 

しかし、それこそ神話と祭儀の時代の人間と、19世紀の合理的、技術的

人間の思考回路を同じに考える大きな誤謬だとする一方、その後の、新し

い神話解釈の方法である深層心理学的解釈についても、深層心理学の考え

方は、神話とは対極の世界のものである。この心理学は、人間を自分自身

のもとに投げ返すばかりで、開けた世界から輝き出る神々しい精神から

人間を遮断してしまうものであり、それはまさに神を失った現代世界の

産物だとして批判しています。

 

さて、それでは、神話というものをどのように理解すべきなのでしょうか?

 

オットーは、神話という語を、<その言葉どおりを真に受けることはでき

ないが、おそらく背後により深い意味が隠されている話のことなのだ>と

述べています。

 

ミュートス(神話)とは、ほかならぬ<言葉>の謂であるが、何はともあれ、

頭の中で考えられた事柄にかかわる言葉では決してなく、事実にかかわる

言葉を意味するから、偉大な神話の時代には、今とはまったく異なった考え

方をしていたに相違ない。しかし、後世になって、人々はこれを荒唐無稽と

みなすか、哲学的な神話解釈のように意味深長な空想の産物とみなすかの

どちらかになったとしています。

 

また、オットーは、<本来の真正な神話は祭儀、つまり人間をより高い領域

に高揚させる、荘厳な所作なしには考えられない>と述べています。

 

かつては祭儀を神話の単なる演出だとする考え方があったが、それは誤り

であり、神話を伴わぬ真の祭儀がないばかりか、祭儀を伴わぬ真の神話も

また存在しないとしています。

 

<神話と祭儀の両者は根本において一つのものである。祭儀のさいの

身振り、姿勢、動きの感動的な崇高さを思い起こしてみれば、それは

神話のもつ神的真理の直接的現れである>とし、<人々が神の啓示の

唯一のものと見なしたがる言葉による告知に少しも劣るものではない>

というのです。

 

よって、神話として現れた神の自己証明を、第一に、人間にのみ特有な

直立した、つまり、天に向かった姿勢、つまり、言語の中にではなく、

佇立し、腕や手を高く上げる、また、を合わせるなどする、肉体の

上方への志向のうちに現れた神話。第二は、厳かな足の運び、舞のリズム

とハーモニー等々の人間の動作、行為の中に形相として出現する神話。

第三は、本来その名が示すとおり、神的なものが言葉のうちに自らを開示

する、言葉としての神話、という三つの段階に分けてみることができる

と述べています。

 

かくして、神話の根源現象である、行われることと語られること、つまり、

狭義の祭儀と神話の関係についていうと、祭儀においては、人間が自ら

神的なもののうちにまで高揚し、神々とともに生き、行為する。他方、

狭義の神話においては、神的なものが自らを低くし、人間的なものに

化する、というふうに要約できるとしています。

 

なお、我々が抱く大きな疑問である<神人同形説>、つまり、神々は

人間の姿として表象され、神々の行状までが人間のそれに近いという点

については、オットーは、ゲーテの<ギリシャ人の意思と志向はとは、

人間を神化しようとすることにあったのであり、神を人間化することに

あったのではない>という言説を引用しながら、<神が人間の相貌をして

人間に近づくことは、実に迷信どころか、むしろ真の開示の証である>

と述べています。

 

ともかく、古代ギリシャの神々は、至福かつ悠遠の存在でありながら、

親しみ深い遍在する神である、つまり、及びがたい悠遠さを持ちながら、

同時に直接身をもって感じ取れる眼の当たりの存在なのであって、これ

ほどの身近さは古代の宗教にも他に類を見ないとオットーは述べています。





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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

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