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「交響する死者・生者・神々」-平田篤胤1-


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平田篤胤1 



『平田篤胤-交響する死者・生者・神々-』の著者吉田麻子氏は、

平田篤胤というと、戦後においては皇国史観の元祖であり、国粋主義の

思想家であるとして、否定的に評されてきたが、平田家に伝わる未公開

資料の整理・研究にたずさわるなかで、残された膨大な書簡や草稿類が、

このような単純な裁断を許さない迫力を有していることを発見したと

述べています。よって、篤胤の戦前の「国家主義」や「国粋主義」と

いった言葉には到底収まりきれない、豊かな感性と思想を知らしめたい

としています。

 

今回は、この吉田麻子氏の『平田篤胤-交響する死者・生者・神々-』と、

吉田真樹氏の『平田篤胤-霊魂のゆくえ-』をベースにしながら、平田

篤胤の思想の根柢にあるものを追ってみたと思います。

 

さて、平田篤胤は、安永五年(1776)、秋田藩士大和田清兵衛の四男

として秋田城下に生を受けたとされます。二十歳で脱藩し江戸に出るの

ですが、篤胤の秋田における幼少期は決して穏やかとは言えないもので

あったようです。

 

自身の覚書には、里子にやられ、貧乏足軽の家で六歳まで養われたこと、

さらに、八歳から十一歳までは金持ちの鍼医のところへ養子に出され、

その家に実子ができると、また、実家に帰されたが、そこには、それまで

とは劣らぬ、大変厳しい状況が待っていたということが記されています。

 

特に、生家に戻ったときには、使用人のように「憎み使われ」、他人に

可愛がられればいっそう憎まれ、顔のあざを「兄弟を殺して家をうばふ

相」として嫌がられるなどの虐待を受けたということですが、吉田正樹氏

は、<これらの言語同断の苦しみは、生涯にわたって続いてゆく篤胤の

苦難の原イメージを形作るものとなり、重要である。なぜなら、「この私

はなぜ生まれてきたのか」という問いが、ここではっきりとした輪郭を

もって現れてきたからである>と述べています。

 

そして、<篤胤の原初の問いは、近代の言葉でいえば、「宗教」的な問い、

すなわち、超越者との関わりにおける自己を問う問いであった。因果

(仏教)や天命(儒学)という既成の超越的存在との関わりにおいて

自己を捉えることを避けつつ、なお、既成の問いの構造を継承し、因果・

天命に代わる超越者(神)を追い求めることになる>としています。

 

さて、篤胤は、このような決して居心地のいいとはいえぬ生育環境の中で、

書物を読むことを覚え、八歳から儒者中山青莪(せいが)について漢学を、

また十一歳にして叔父で大和田柳元のもとで医術を学び、二十歳になる

頃、学問への志を胸に故郷を出奔し江戸に向かいます。

 

学問に大志を抱き故郷を捨てさせたものとして、先に触れたように、暗く

奥深い生命への根源的な問いがあったほか、篤胤の中には、天地への問い

が芽生えていたであろうことは、『荘子』天地を読み、自身の号を「大壑

(だいかく)」(広大な海の意)としていることからも窺い知れます。

 

なお、篤胤の中には、これらとともに、おそらくかなり早い段階から、

「この世ならぬ霊妙なもの」に対する非凡で鋭敏な感性が備わっていた

と言われています。

 

たとえば、篤胤が江戸に向かうときも、霊妙不可思議なる体験をしている

のです。その日に国を出た者は決して帰れないと言い伝えられる1月8日

を選んで江戸に向かったとき、大雪の院内峠で遭難し、茫然と途方に

暮れるなかで、神と出会い、助けられたというのです。

 

このことについて、吉田真樹氏は、次のように述べています。

 

<篤胤のここでの「茫然」は、並大抵のものではなく、二十年の人生に

おける苦難・不遇の経験、そしてすべてを捨てての出奔、その果てに、

人生で初めて、自分の力ではどうしようもない窮地に陥ったのである。

このまま死ねば人生は無意味に終わる。「この私はなぜ生まれてきたのか」

という問いは、吹雪のなかで立ちすくむ間にこそ鋭く、問われ続けていた

に違いない。ところが、次の瞬間に、篤胤はすんなりと神に助けられ守ら

れているのである。祈るよりも前に助けられたとみるべきだろう。篤胤

における神は、助ける神として現われてきたのである。このことは、篤胤

の神観念にきわめて深い影響を及ぼしていると考えられ、重要である。>

 

<しかし、そもそも、日本における神は、その意思の捉え難いものであり、

容易に人を助けるものではない。この場面でいえば、大雪を降らせ、命を

奪おうとする恐るべき山の神こそが、通常の意味での神、つまり、祀りに

おいて接する神であると考えられる。祀りを経てなだめられてこそ力を分け

与えてくれることもあるというのが神による加護の本来のあり方である。>

 

<だが、ここでは、篤胤は無条件に助け守られていると考えるほかない。

無条件に助ける神とは、助け守られる側の存在とすでに何らかの意味で

近しい、あるいは親しい関係であるのでなければならない。この「助け守る

神」とは何者だろうか。少なくとも、助けたのは神以外の何ものでもなく、

「助け守る神」こそが神の本来の姿であるとする、篤胤の神観念の原イメ

ージが、ここに獲得されていることは疑えない。後に定式化される篤胤の

神は常に感謝の対象となる。篤胤の、感謝しつつ「助け守られる私」に

よって「助け守る神」のイメージが構築されてゆくのである。>

 

吉田真樹氏は、こうした神体験を経て、最初の問いの問われ方が大きく

変化してゆく、つまり、「この私がなぜ生まれてきたのか」という問いが、

「私はなぜこのように神に助け守られる私として生まれてきたのか」に

変換され、そこでの問いは、新たな神に向かう問いとして明確化された、

としています。そして、問いの変換に伴って、その答えも予想されるもの、

すなわち、「私の生は神によって根拠づけられている」という方向に導か

れていったとしています。

 

さて、このような篤胤の、霊妙不可思議な天地への問いと、そこに連なる

卑近で漠然とした霊的感覚は、のちに篤胤独自の大きな世界像となって

姿を現すことになるのですが、その基礎を形づくったのが、さまざまな

人々との新しい出会い、とりわけ、次の三人の人たちとの出会いであった

のです。

 

まず第一は、国学の師である本居宣長との出会いです。ただし、「宣長に

出会った」というのは正確な表現ではなく、宣長が死んでのち、生前に

会うことの叶わなかった篤胤は、夢の中で宣長に対面し、入門を許され

たというのです。

 

つまり、篤胤は、今は亡き宣長の霊魂と出会い、弟子として認められた

という夢を見るほどに、宣長の思想と自分の抱える実感との間に強く

共振するものを感じ取ったということです。

 

宣長は、この世界は、人知では計り知れない尊い日本古来の神々に包まれ

ていると主張し、人、鳥獣、木草、海山そのほか霊妙不可思議なものを

すべて「迦微(かみ)」として定義づけています。カミは神話に登場する

ような尊い神々から、怪事を起こす狐や狛(こま)などの卑しい獣まで

千差万別である。そのように大きく下方から「不思議」をすくい上げ、

天地の大きな営みの中に包摂するような宣長の古道説は、それまで篤胤が

漠然と、しかし、強烈に得ていた卑近な場面での霊的な感覚と、天地自然

への根源的な疑問を架橋し、その道を拓きうる唯一の学問として彼の目に

映ったのではないかとされます。

 

ただし、吉田真樹氏は、篤胤の最初の著書である『呵妄書(かもうしょ)』

においても、宣長の思想をそのまま踏襲しているわけではなく、「篤胤節」、

つまり、篤胤の独自性の萌芽が見られるとしています。

 

たとえば、「神」の定義にあたって、篤胤は、宣長の著作において、「道」

という概念が重視されていないと考えていて、「道」については、むしろ

宣長の著作を参照すべきでないと考えていたのではないかとされます。

 

つまり、篤胤の学問にとっては、「道」の存在を大前提としたうえで、

「道」を制作した「神」について宣長の著作を参照し学んでゆくことが

重要であったということです。篤胤の最重要の問いはどこまでも自己

にあり、自己を問うためには、自己と神とを包含する「道」が必要で

ある。だが、宣長は自己を問う姿勢が弱く、他者たる「神」の方に重点

が偏ってしまっている。そこが宣長の不足な点である、と篤胤は捉えて

いたのではないかということです。

 

それはともかく、その後、篤胤は、宣長の「古道学」に学びながら、

日本の神を中心とした独自の世界観を築き上げてゆくこととなるのです。

 

人との出会いに話を戻すと、第二の出会いは、備中松山藩士平田藤兵衛

との出会いで、第三の出会いは、妻・織瀬との出会いであるとされます。

篤胤は藤兵衛の養子となることにより、腰を据えて学問に打ち込むこと

ができるようになったのであり、また、織瀬との結婚により、妻子を持ち、

家庭生活を営むようになったことは、平田国学の思想構築には欠かせない

出来事であったとされます。

 

とりわけ、篤胤が得た実生活での出来事、すなわち、子供が生まれてくる

という尊くも不可思議な「生命」のありよう、また、彼らとともに生きる

日常としての「生」、さらに早くして妻と息子が亡くなってしまうという

切実な「死」の実体験は、篤胤の世界像の中核をなす、「幽冥界」や「産霊

(むすび)」といった観念を大きく支えるものとなったということです。

 

なお、次回からは、いよいよ篤胤の幽冥観、霊魂観に入って行きたいと

思います。







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