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「鬼神新論」-平田篤胤2-


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平田篤胤2 




『鬼神新論』は、篤胤が江戸に出て私塾を開き、思想家としての第一歩を

あゆみ始めたときの著述ですが、彼が、最初に「鬼神論」を取り上げたと

いうことは、自身の思想を構築するために、まず、突破しなければなら

なかった議論が「鬼神」に関わる問題であったということを伺わせます。

 

「鬼神論」とは、「鬼神とは何か」、「鬼神は存在するか否か」、「鬼神の

祭祀はどうあるべきか」といったことについて、これまで多くの儒家の

間で交わされてきた議論でしたが、儒教では、いわゆる「鬼神(広義の

神と霊の意)」の捉え方やその有無さえもが、学派や個人によって様々で

一様ではなかったのです。

 

『鬼神新論』という書のタイトルは、従来の儒家の「鬼神論」に対して、

篤胤みずからが打ち立てた新説という意味を持つのですが、一門を立ち

上げた篤胤は、まず、このような儒学者たちの歴史ある土俵に立ち入って、

日本の神こそが儒教でいうところの「鬼神」であること、そして、「鬼神」

であるところの日本の神は、間違いなくこの世に実在し、今なお世界を

包み込んでいる、ということをはっきり主張しようとしたということです。

 

自身の信じる宗教・思想を正しいと言うために、他の宗教・思想を外側

から全否定するのではなく、わざわざその諸説の内側に分け入ってゆき、

同じ儒教の中でも、この説は間違っているが、この説はここまで正しい、

と逐一、批評を加えるという方法をとったのです。

 

ここでは、古来の儒者が鬼神に対して抱いてきたであろう霊的な感覚に

ついては正しいとしながら、その正しい感受性の先に、篤胤の考える

「日本の神」の世界が広がっているという風に、自説を展開していった

ということです。

 

儒教であろうと、仏教であろうと、キリスト教であろうと、おそらく世界

中のすべての宗教感覚そのものは否定しないし、彼らが何らかの霊的な

ものを感じ取ったこと自体は、決して間違いではないと考えているのです。

ただし、それをどう解釈するのか、あるいは、その感覚を突き詰めたところ

にある真実は何なのか、という点については、唯一、日本においてのみ、

正しい伝えが残されている、と考えるのであり、それが『古事記』、『日本

書紀』といった神話であり、祝詞(のりと)であり、各地に伝わる風土記

や伝承だというのです。

 

吉田麻子氏は、『平田篤胤』のなかで、「世界中で唯一、日本にだけ、霊

的存在についての決定的事実を知りうる材料が残されている。このこと

こそが、平田篤胤が本居宣長に出会うことで自ら手にした、宇宙全体を

知るための、大きな手掛かりであり、土台となるものであったのだ」と

述べています。

 

しかし、そうはいっても、儒教や仏教は、日本において長い精神的な歴史

がある。特に儒教については、篤胤も故郷において初めて学んだのは儒教

であったし、知識人の社会は儒学を中心に展開している。よって、儒学は、

篤胤自身にとっても他の学者たちにとっても、その内面からは完全に取り

除くことのできない素地のごときものとしてあった。だからこそ、篤胤は、

その中に含まれている優れた側面と誤った側面を自分の力で分析し、真っ

向からきちんと見据えることなしに、学者としての第一歩を踏み出すこと

ができなかったということです。

 

篤胤のよると、儒者が行った様々な「鬼神」の捉え方で、最も間違って

いるのは朱子学のそれであると言います。

 

古代の中国人は大いなる神の存在をちゃんと意識していたというのです。

神とは、人間がその中で社会を作って生活している天地の一切合切を動か

しつかさどる、恐るべき意志を持った存在のはずであったのだと。

 

ところが、とりわけ、朱子をはじめとする宋の時代以降の儒者たちは、

古来、語られてきたそのような神(天神)の行いを、宇宙全体を動か自然

のエネルギーや秩序(陰陽二気・理)のありようとして捉えた。よって、

朱子たちの捉える「天」や「鬼神」は意志や人格を持たないというのです。

 

ではなぜ「鬼神」などという言葉があるのかといえば、「気」や「理」と

いった合理的な言葉を持たなかった時代のなごりであり、分かりやすい

説明の手段として、「鬼神」などという言葉を用いただけであると。

 

このように、朱子学の言説を人格神や霊魂の否定と捉えた篤胤にとっては、

朱子学的合理主義こそが、人間が拙い頭で考えた狭く小さな理屈であり、

愚かな知ったかぶりにすぎないというわけです。

 

では、近年になって、後世の儒学である朱子学を批判し、古代に立ち返って

儒学の祖である孔子のいわんとするところをもう一度捉え直そうとする

伊藤仁斎や荻生徂徠らの古学派については、どのように考えていたので

しょうか?

 

篤胤は、古学派の頂点に立つ荻生徂徠について、心が広く才能が秀でて

いて、普通の漢学者と比較できないほどだと絶賛するのですが、そんな

優れた儒学者であっても、鬼神については、やはり、朱子学の唱える域を

出ることができず、「古学」といいながら、鬼神の実在を信じていた古代人

の正しい感覚や意識をくみ取れていないと批判しているのです。

 

このように、間違った鬼神論が日本の学者に間に浸透しきっていて、その

根はとても深いという状況のなかで、篤胤は、「孔子の霊」は幽界にある。

つまり、孔子は死後の世界は間違いなく存在し、しかも神や霊魂が実有で

あることを分かっていない何世代も後の弟子たちを情けなく思っていると

いうのです。

 

そして、さらに篤胤は、あたかも古学派の儒者の不足を補うかのように、

孔子は確かに天の神や鬼神の実在を信じていたはずであると、『論語』と

『中庸』を引用しながらそれを論証しようとしています。

 

さて、篤胤にとって孔子は大変非凡で優れた人物だと映ったようです。

なぜなら、正しいいにしえの伝説がなく、さかしら(かしこぶること)

ばかりはびこっている中国に生まれたにもかかわらず、自分の存在が

天地の畏(おそ)るべき鬼神に包まれて成立していることを感じ取り、

悟ることができた、大変珍しい人物であると考えたからです。

 

もっとも、それほど優れた孔子であっても、やはり、古伝説(神話)の

ない状態では、神々のことを具体的に知るには限界があった。篤胤は、

神がどのようにこの世の中を取り巻いているのかまでは、孔子は理解する

ことができなったとして、神の実在そのものから、神と人との関係性に

ついての議論へと進めてゆきます。

 

孔子は、この世をつかさどる超越的で人格を備えた存在を「天」と呼んで

いたが、それが後代になると、人が良いことをすれば天から幸福が与え

られ、悪いことをすれば禍(わざわい)が下されるといった「人の行い」

と「天から与えられる禍福吉凶」との対応関係が語られるようになって

いった。しかし、篤胤が実感している「天」とは、孔子や儒教のそれとは

違う、もっと計り知れない複雑さを孕んだものであったのです。「天」は、

いわば、様々な役割を負った神たちがいる尊い場所であるというのです。

 

また、篤胤にとっての神は、天だけでなく、夜見(よみ)の国や幽冥界、

地上のいたるところにもいて、私たちを取り囲んでいる。そして、人に

禍が起きたり、幸福が与えられたりするのは、そのようなたくさんの神

たちの中でも、とりわけ、「善悪の神」である大禍津日神(オオマガツヒ

ノカミ)・大直毘神(オオナオビノカミ)・枉神(マガカミ)の所業による

ところが大きいというのです。

 

通常、人間に起こる禍事(まがごと)というのは、大禍津日神や枉神の仕業

によって人の世に降り注いでくるのであり、幸福は、善神である大直毘神に

よって与えられるとされるのですが、そうとばかりは言えないようなのです。

一応、荒っぽいとか、おだやかといった特徴的な傾向はあるものの、その

性質はもっと多様な側面を備えているというのです。

 

よって、善神の機嫌が悪くて禍が降ってくることもあれば、何らかの理由

で悪神が幸福をもたらすこともあるのであり、人に幸・不幸が起こる理由は、

機嫌がよかったり、荒ぶったりする神々の、その時々の事情によって容易に

計り知れないものだとしています。

 

このように、篤胤は、神々は人間の善悪の行動に直接に反応して幸福や禍

を下すわけではないというのですが、だからといって、神と人とは断絶

していると主張しているわけでは決してなく、また、人間の行いと、神

から下される禍福吉凶には関係がないから、それぞれが好き勝手に生き

ればよいということではないのです。

 

のちにこの問題は、『古史伝』という篤胤の主著の中で深められ、独自の

理論として形成されてゆくようですが、『鬼神新論』を著したこの時点

では、ただ、人間の行為が倫理に適っているかどうかだけで、飢饉や

災害が起きたり、幸せが降ってくるわけではない、ということを論じる

にとどまったということです。

 

ともかく、この頃の篤胤が、まず主張したかったのは、あくまでも宇宙を

つかさどる神々の多様性と不可思議な霊異の力であったのです。

 

さて、神々の意志や行いは計り知れないとすると、人間はどうやって神の

もとで生きればいいのだろうということになりますが、篤胤は、天神地祇

や死者の霊を含む鬼神全般に向かって人間ができる唯一のこと、それは

「祭祀」だというのです。

 

そして、篤胤にとっての祭祀は、基本的に、神が荒ぶったり怒ったり機嫌

を損ねないように慰めるものであったようです。つまり、神々に向けて

美味しいものをたくさん献上し、人々が親しく集い、歌い舞い、色々と

楽しいことのかぎりをなすことであったのです。

 

よって、そこには祭祀としての形式や礼式、それゆえの荘厳さ、難しさは

いっさい語られていないのです。神というものは幼児のような素直な存在

としてイメージされていて、それは、成熟した社会の中での人と人との

関係性や規範性、その中で育まれる理性や教養などから最も遠いところに

あるものと考えられていたようです。

 

とにかく、神とは、善にも悪にも転びうる強い生命力そのもので、善い神

であっても、いったん荒ぶれば、誰にも止められないような強烈なエネル

ギーを発揮するという、社会が成熟発展する以前の原始根源的なイメージが

込められているようです。

 

なお、天神・地祇とともに鬼神に含まれる死者の霊についても、篤胤は

基本的に同じような捉え方をしていて、突然、祟りや幸福という大きな

霊威をあらわす存在であり、不可測な両義性をはらむ一方で、大変素直な

心情を持っているとしています。

 

ところで、本来、「鬼神」という語は、吉田真樹氏の『平田篤胤』による

と、広義の意味としては、「天地の神」を指すが、狭義では、死者の霊魂、

つまり人鬼を意味する語であったということであり、天神(てんじん)・

地祇(ちぎ)と人鬼(じんき)とは区別されていたようです。

 

しかし、篤胤によって、天神・地祇、特に天神・地祇と人鬼とが連続する

ものとして結び合わされ、天神・地祇を含みながらも、死者の霊魂を中心

とする神についての方法概念が形成されることになったとしています。

 

よって、篤胤の『新鬼神論』の核心は、<人は神から御霊(みたま)を

賜って生まれる存在である> それゆえに <人は神を祀るべき存在で

ある> また <人は死ねば肉体を離れ御霊そのもの、すなわち「神」と

なる> それゆえ <死後の霊魂は「神」として人に祀られるべき存在で

ある>というふうに図式化できるのではないかと述べています。

 

かくして、近世の知識人の世界において、『鬼神』、すなわち神という

ものが観念化、抽象化してゆく方向にあったなかで、死後の世界は間違い

なくあるとし、人格(神格)をもった生々しい存在であるところの実有の
神を再び甦らせようとしたところに、篤胤の類いまれな知識人としての
存在
価値があるのではないかと思います。






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