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「霊の真柱」-魂のゆくえ-平田篤胤3-
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『霊(たま)の真柱(みはしら)』を著します。このとき、彼は37歳
で、ちょうど江戸でひらいた塾には次第に門人や聴講者が集まるよう
になり、篤胤を師とあおぐ者たちが増えてきた頃だということです。
この書が論じているテーマは二つあるとされます。一つは、「世界の創世
記と日本の誕生」であり、もう一つは、「死後の霊魂のゆくえ」について
です。篤胤は、この壮大なテーマを神々の歴史に沿って段階的に説明して
ゆくのです。
より具体的にいうと、世界中で日本にのみ残されている歴史的資料の断片
(彼は日本神話をそう捉えている)をまず独自に精査して、そして、
古代に存在したであろう正しい伝説をもう一度復元し直したあと、その
展開に沿うようにして、太陽、地球、月、そして日本と諸外国の国土が
生成してゆく過程を、図を掲げながら解説します。
その図は第一図から第十図まであり、何もなかった無の状態から、天体の
もととなる物質が生まれ、次第に神と人間の息づくこの世界がはっきり
と形を成してゆく様子が詳しく描かれているのです。
また、その結果として、実は我々の目に見えない死後の世界も同時に生成
し、これまで永続的に存在していたとされます。
ただし、この図は、篤胤のオリジナルではなく、服部中庸(はっとり・
なかつね)という人の『三大考』という著作の中で論じられたもので、
篤胤が補足修正したものです。
そこには、<いにしえの伝えにいわく、大虚空(おおぞら、宇宙)の中に
一つの物が生まれたが、そのかたちは言葉では言い難いもので、根っこが
かかるところのないような様子で、クラゲのようにフワフワと漂える>、
また、<ここに生まれた一つの物は、のちに太陽(天)・地球(地)・月
(泉)の三つに分かれることとなるものである。><この一つの物が虚空
(おおぞら)に生まれたのも、それが分かれて太陽・地球・月となって、
第十図のように完成することも、ことごとく、かの二神の産霊(むすび)
の大神の産霊によってそうなったのである。>などと記されています。
そして、このように形をあらわした地球の上に、今度は日本の国土が
いちばん初めに現れてくるといいます。
つまり、イザナギとイザナミが結婚して子供(国土)を産むとされるが、
それは物語ではなく、現実に存在する日本の島々なのです。まず、夫婦
神は、淡路島を胎盤とし、本州を産んだ。その後、四国、九州、壱岐、
佐渡が産まれ、全部で八島となった。だから日本は大八島の国だと
いいます。
ちなみに、外国の国土は神が産んだのではなく、潮の沫(あわ)が集ま
って成立したとされます。そして、日本は地球上で天(太陽)に最も
近い位置にあったとされるのです。
このように、篤胤は日本神話を単なる物語と見ず、あくまでも自分たちが
生きている現実の世界が歴史的にどのように成立したか、また自分の目に
映っている天体や国土の全体がどうなっているのか、ということを具体的
に解き明かす資料として扱ったということです。
ところで、このような「世界の創世記」「日本の誕生」という『霊の真柱』
のテーマは、前回、紹介した『鬼神新論』と比較すると、<時間も空間も
飛び越えた宇宙の外側から、大きく自分たちの存在をつかみ取ろうという
新しく壮大な視点によって打ち立てられているように見える。あるいは
世界規模で自分たちの国を改めて位置づけ直そうという強い欲求が働い
ているようにも感じられる>と『平田篤胤』の著者吉田麻子氏は述べて
います。
吉田氏は、篤胤は、ただ単に「神は間違いなくいる」と主張するだけでは
満足できなくなり、神々と自分たち人間を含めた具体的な世界の全体像を
描かなければどうしても済まなくなったのではないかとしながら、この
ような篤胤の問題意識の深まりと飛躍の背景には、いったい何があったの
であろうか、と問うています。
そして、その背景とは、篤胤が以前より抱いていた「天地の存在」や「こ
の世ならぬ不可思議なものたち」に対する哲学的な問いや実感にからみ
つくようにして、「西洋」(ロシア)の接近という差し迫った時代状況が
すぐそばに立ち現れていたということではないかとしています。
その根拠として、吉田氏は歴史学者の宮地正人氏の<篤胤は外からやって
くるロシアという異国の存在をまざまざと実感したことによって、日本と
いう島国を、それまでにない強烈なリアリティをもって意識し、日本人と
してのアイデンティティを、この国土に棲む神々とその歴史の中に求めた
>のだという新資料にもとづいた言説を引用しています。
さて、篤胤は、『霊の真柱』の冒頭で、魂の「柱」、つまり日本人として
のアイデンティティを心の中に構築し、それぞれの人生を生きるための
揺るぎない軸としなければならない、そうしなければもろもろの禍(わざ
わい)が起こってくるとしています。
その禍とは、日本の国土はもちろん、日本人の精神や文明までもが、外
からやってくる異国に荒らされ、見る影もなくなってしまうということだ
と思われますが、吉田麻子氏は、<篤胤は、名もなき民の尊き生活の中に
こそある、先祖から脈々と続いてきた日本人の精神的な風土の危機を感じ
ていた。>よって、彼は、<「死後の世界の行方」についても、キリスト
教の天国・地獄や、仏教の輪廻転生や、儒教(朱子学)の魂魄二気への
消散ではだめだ>というのであり、<「死後の世界」は、私たちが生きる
世界と地続きであり、一体であり、まさに脈々と続く日本人の精神風土
そのものであるがゆえに、私たちは日本の山や川や空を背景とした生活
の中にある「死後の世界」から切り離されては生きられないし、何より
生きている者同士がつながることもできない>と考えたのだとしています。
では、日本の精神的風土を守り、死後の世界を意識しながら生きるために
建てるべき魂の「柱」を篤胤はどう描いたのでしょうか?
「柱」という言葉は、単なる比喩であるだけではなかったのです。イザ
ナギ・イザナミの夫婦神が、天の神から与えられた「アメノヌボコ」と
いう矛(ほこ)をまだ固まっていない大地のもとに差し入れて、かき回し
引き上げる。すると、そこから滴った潮が固まってオノゴロ島となった。
イザナギ・イザナミはそこに「アメノヌボコ」を突き立てて「国の御柱」
とし、その柱を中心に御殿をつくる、これが篤胤による世界のはじまり
とされるのです。
かくして、地球上の全世界の成立は、日本の神々よって突き立てられた
「柱」によって幕をあけるのであるが、それは世界のはじまりの象徴で
あると同時に、それにならって人間が家の中に建てる「柱」、つまり、
大黒柱がなければ大きな世界だけでなく小さい世界も始まらず、動き出さ
ないのであるから、『霊の真柱』の「柱」とは、神々から恵みをたまわり
ながら日々を生きるための、個々人にとっての中心軸だとするのです。
なお、以上のような言説からすると、篤胤とは、異国の説とあらば徹底的
に排除する独善的な排外主義者のように思われるかもしれませんが、そう
ではないようです。たとえば、太陽・地球・月の成立を神話の中に求めな
がら、西洋の天文測量術をもって、その大きさや距離を測ったり、蘭方医
のもとで解剖に参加したりしているようなのです。
では、篤胤はなぜ、日本人としてのアイデンティティを確立せよと主張し
ながら、西洋の学問を臆面もなく取り入れ、活用するのかということです
が、それは、彼が世界中のすべての伝承や文明の基礎に、日本の神がある
と考えているからのようです。たとえば、アダムとエバの伝説は、イザ
ナギとイザナミの伝説が誤って伝わったものだと捉えているのです。
つまり、西洋文明とは日本の神によってもたらされた種が遠くで育った
結果であり、始原は間違いなく日本で、万物は日本の神々の霊力によって
いるということなのです。このスタンスに立てば諸外国の文化は決して
否定すべきものではなく、中にはとるべき側面もあり、一応は知って
おくべきものであるということになるのです。
しかし、この視点は現代人からみれば、自己中心的でご都合主義のように
感じるところがあるかもしれませんが、これに対して、吉田麻子氏は、
次のように擁護しています。
<宗教心というものは、篤胤にかぎらずとも自分を産み育んだ土地に根ざ
して生まれるのではないだろうか。あるいは、自分たちの共同体に中心軸
を置くのではないか。そして、その尊さや畏怖の実感を拠点として世界を
見るのではないだろうか。>
<特に創世記神話は、どんな宗教であろうとも、みな自分たちの神が世界
を生み出すのである。篤胤の宗教心だけが特別に客観性に欠けていて独善
的だということはできまい。><篤胤は日本における庶民の生活、それを
取り囲み恵みをあたえる自然への強い畏怖から日本神話の正しさを確信
しているのである。>
さて、太陽・地球・月という実体としての天体と、いま世界をつかさどる
神々がおられるところ、そして我々が死んだ後におもむく世界はどう関連
しているというのでしょうか。
篤胤によると、太陽はいわゆる「天つ国」、神話の中の「高天原(たかま
がはら)」であり、天照大御神を中心として八百万の神がいる。月は神話
に登場する「夜見(よみ)の国」であり、神話の中で夜見の国におもむ
いたイザナミやスサノオノミコトがいる。そして、地球では、神話の
とおり、ニニギノミコトが降臨して以来、天皇が人間の世界を治めて
いるとされます。
では、人間の魂は、死後、この三つの世界のうち、どこへおもむくのかと
いうと、「幽冥界」へゆくというのですが、この「幽冥界」こそが篤胤の
思想において最も独創的かつ有名なものとされるのです。
篤胤は、<幽冥界というのは、人間の世界から遠く離れたところにはない。
この地球上の、我々の日常に隣り合わせるように、また重なるように存在
して、目には見えないが、いわば地球上のどこにも満ちている。そして
大国主神が治める幽冥界から死者は生者を常に見守っている>というの
ですが、吉田麻子氏は、このようの篤胤が「幽冥界」の存在を唱えたこと
には、歴史的に大変大きな意義があったと言います。
その意義とは、まず、「死」という人間にとって最も恐ろしい出来事の
あとの待っているのが、私たちに親しみのあるこの国土上の別世界で
あると明言したことであるとしています。このようなおだやかで身近な
安心できる死後の世界は、死ねばみんな汚く穢れた夜見の国に行くと
した師と仰ぐ本居宣長とは決定的に異なる主張であったからです。
また、そのようなすぐそばにある死者の世界に包み込まれる、あるいは
死者や神々と一体となって、我々生者は生き続けている、という、いわ
ば目に見えない世界と連続する人の生のイメージをはっきり言葉にした
ことも重要であるとしています。
かくして、『霊の真柱』に書かれた一見、あまり関係がないように
見える「世界の創世記」と「死後の魂の行方」という二つのテーマは、
西洋文明の接近と危機に直面した篤胤の、「どう生きるか」という、
みずからの問いに対する答えとして密接に関連性を有していたという
ことになります。
吉田麻子氏は、<篤胤の言いたかったことは、世界が始まってからという
もの、人間は神々と死者に囲まれ、その恵みを受けながら暮らしている
のだ、ということである。そして、何気ない生活や日常はそれなしには
成立しえないという紛れもない真実である。このことを軸としなければ、
自分は、日本人は、決して生きられない。『霊の真柱』は、そのような
篤胤の心身の叫びでもあった。>と記しています。
ともかく、篤胤は、今まで流布されていたような、偏狭な排外主義者では
なかったのです。彼固有の霊的感性、そして、生活者としての庶民性と
知識人として知性との微妙な緊張感の中で、観念化された神ではなく、
生き生きとした実在の神々を再認識させようとしたこと、死後の世界を
穢れた世界、遠い断絶した世界ではなく、この世界と隣り合わせにある
親しい世界であるとしたことなど、彼特有の傾聴に値する世界観が
生まれたのではないかと思います。
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体
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