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西方の竜-竜の起源2-


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 エヌマエリシュ
 
 
  ヨーロッパに広く分布するというドラゴンという生命体をわが国では

あまり躊躇することなく竜と訳していますが、ドラゴンとはどのような

存在なのでしょうか?

 

ヨーロッパの絵や彫像、そして紋章などによると、ドラゴンは有翼、した

がって四足でなくて二足であり、また、中国の竜が細身の体形であるのに

対して、ドラゴンの胴体は太いようです。

 

そして、何よりも、聖獣であった中国の竜と違って、ヨーロッパにドラゴン

は嫌われもので、神々や英雄に退治される悪魔的存在という正反対の性質を

持っているという大きな違いがあったのです。

 

しかし、前回、「東洋の竜」で紹介したインドの竜であるナーガと比べる

と、ヨーロッパのドラゴンは、ナーガよりも姿形において中国の竜に近い

とも言えます。

 

では、その類似性には、どういった理由があるのでしょうか? どういう

背景があるのでしょうか?

 

そこで、まず、ヨーロッパの竜のイメージは、どのように形成されたのか

を、西方の太古の文明であるメソポタミア文明にまでさかのぼって見て

みたいと思います。

 

紀元前四千年紀の後半、シュメール人は、メソポタミアの南部、つまり、

チグリス・ユーフラテス川の下流域に、インダス文明よりも、黄河文明

よりも早く、人類最初の都市国家を築いたとされます。

 

そこでは、青銅器、牛・馬車、文字、暦法が使われはじめ、これらの都市

文明は、西方世界全域、そして東方世界にも伝播ないし影響を及ぼしたと

考えられていますが、このシュメール人が開発した印章には宗教的な主題を

表す図も刻印されていて、神と推測される図像、牛や馬などの動物像、麦

その他の植物像などに加えて、蛇の像や竜と思われる図像が認められると

いうことです。

 

竜と思われる存在は、大蛇の胴体に角と足をつけたものとして描かれて

いて、翼を持つものもいるようですが、ここからヨーロッパのドラゴンの

原型がすでにシュメールに生まれていたといえるのではないかと言われ

ています。

 

その形姿は、蛇を基体とするという点で中国の竜に近いが、楔形文字で

書かれた粘土板文書には、原初の海に棲み、洪水の原因ともなる怪獣クル

の名が読み取れ、水との関係でも中国の竜との共通点が認められると

いうことです。

 

しかし、相違点もあります。中国の竜にも洪水の原因となる河伯(かはく)

のようなものがいたが、干ばつのときには慈雨をもたらしてくれる竜でも

あったのです。それに対して、シュメール人の竜は、耕地も家畜も家屋も

呑み込んでしまう大河の濁流と結び付けられるのみでありました。

 

よって、シュメールの竜は英雄に退治されねばならなかったのですが、

この竜退治の神話は、紀元前2千年紀に南メソポタミアの覇者となった

バビロニアに引き継がれます。

 

バビロニアの創世神話である『エヌマ・エリシュ』によると、天と地は、

バビロニアの英雄神マルドゥクが竜のティアマトを殺すことによって

創られたとされます。

 

<マルドゥクは干し魚のようにティアマトを二つに裂き、その半分を固定

し、天として張り巡らした。><かれは(それに閂(かんぬき)を通し、

番人たちをおき、かれにその水分を流出させてはならないと命じた。>

<マルドゥクは(ティアマトの骸(むくろ)の半分を張り巡らし、地を

堅箇に固めた。>

 

さらに、マルドゥクはティアマトの屍の残った部分から、山や泉や川を

つくり、また、神々からきつい夫役を除いてやるために、ティアマトの

手下キングを処刑し、その血から人間を創造したとされます。

 

退治されるティアマトというのは、神話のなかで「大洪水を起こす龍」と

呼ばれる、シュメールの竜を引き継いだ水の神であり、このように、水に

満たされたティアマトの体から水の天と水の地がつくられたとされるのです。

 

なお、ティアマトがどんな形態の竜であるかは何も語られていないが、

ティアマトを描いたと思われる印章の図像などによれば、このバビロニア

の竜は、蛇の胴体にライオンと鷲のような鳥が混成された姿であると想像

されていたようです。

 

かくして、メソポタミアの竜は、水の神であり、その形態は蛇を基体にして

他の動物を混成したものということになりますが、その点では中国の竜に

共通しながらも、社会秩序の敵対者として立ち現れる点で、性格的には中国

の竜とは対照的な存在と言えます。

 

さて、それでは、メソポタミアとほぼ同じ時期に誕生したエジプト文明に

おいてはどうだったのかを見ておきたいと思います。

 

残念ながら、エジプトには中国やメソポタミアのような竜らしい竜を見出す

ことはできないようです。エジプトでは「ウラエウス」が中国の竜と同じ

ように王権のシンボルとなったが、それは蛇そのもので、頭をもたげ、S

字型の形をとるコプラの神であったのです。

 

ナイル川が育むデルタの豊饒力を象徴する神であったコプラの神ウラエウス

は、竜に変容することはなく、コプラのままで全エジプトに君臨する王を

庇護し、国家に恩恵をもたらすという政治的な性格の強い神として崇拝され

続けたということです。

 

このように水と豊穣のシンボルとして生まれ、コプラのままで信仰され続け

たウラエウスは、起源と形態と性格などから見て、インドのナーガに近い

存在と言えるようです。ただし、インドでは背後からナーガが仏を庇護する

形の仏像が見られる一方で、ウラエウスの像は王や神の額につけられる

ことが多いようです。

 

なお、エジプトではウラエウスとは別に蛇の神であるアペプというのも存在

したようです。ナイル川の神話化である深淵ヌンに棲む悪蛇で、太陽神ラー

や豊饒の神オシリスの敵とされ、死者も冥界への途中でアペプに道中を妨害

されると言われています。

 

この話はインドでいえば、ヴェーダにおける天神インドラと悪蛇アヒとの

関係に対応するといえますが、地理的に近いのは、バビロニアのマルドゥク

とティアマトの神話だと思われます。ティアマトは水の悪神であり、マル

ドゥクは太陽神と見られていたとすると、悪蛇アペプはティアマトを含む

メソポタミアの竜と系譜的につながりそうです。

 

そうすると、メソポタミアとエジプトの文化的交流のなかで、エジプト人

がメソポタミアから英雄に敵対する竜に神話を学んだ可能性は小さくない

と言えます。

 

さて、旧約聖書の物語にもバビロニアの影響が認められるようです。ノア

の方舟にそっくりの神話がバビロニアの叙事詩「ギルガメッシュ」に見い

だされるとともに、聖書それ自身がイスラエルとバビロニアの間の文化的

な交流を示していると言われています。

 

竜についてはどうでしょうか?『エヌマ・エリシュ』では竜の神ティアマト

を殺害し世界秩序を確立するのですが、旧約聖書にも、たとえば、「詩編」

74章には、レヴィアタンと呼ばれる竜が世界の秩序の創造に際して退治

されるなど、それによく似たストーリーがいくつか認められるようです。

 

特に、ユダヤ人が宇宙の生成を明確な形で提示する「創世記」第1章には、

<はじめに神は天と地を創造された。地は形なく、むなしく、闇がおもて

にあり、神の霊が水のおもてをおおっていた>からはじまり、そして神は

第1日には昼と夜をつくり、第2日目には、<神はまた言われた。「水の

間に大空があって、水と水を分けよ」。そのようになった。神は大空を

造って、大空の下の水と大空の上の水を分けられた。神はその大空を天と

なづけられた。>とあるが、この章と、水の神ティアマトを二つに切り裂い

て天と地を形成したと語る「エヌマ・エリシュ」との類似性は明らかです。

 

ここから、竜の宇宙論はメソポタミアからイスラエルへ伝わったと言え

そうですが、「創世記」第1章には竜は姿を見せないところから、「創世記」

第1章よりも早く成立したとされる「詩編」第74章のレヴィアタンなどの

竜については、ユダヤ人がイスラエルの地に定住する以前、その地に王国を

築いていたカナン人に抱かれていた竜のイメージを受け継いだのではないか

と言われています。

 

というのは、近代になって発見されたシリアのウガリット遺跡の粘土版文書

には、カナン人に崇拝されていた神バールとバールに敵対して退治される

竜ロタンについての神話が記されていたのです。それによると、バールと

いうのは、「雲に乗る者」とも呼ばれる大気と雨の神で、ロタンは河川の

水を支配する七頭の竜とされ、バールとロタンは大地の覇権をめぐって

争うが、最後にはバールがロタンに勝利するとされます。

 

カナン語のロタンとは、ヘブライ語のレヴィアタンに相当する語ですが、

カナン人の町ウガリットは、紀元前2千年代のオリエント世界における

交易の中心地であり、メソポタミアに生まれた竜の神話も、このルートに

よってカナンに運ばれ、その後カナンの地を支配するユダヤ人にも伝えら

れたと考えられるのです。

 

さて、ここでギリシャにおける竜的な存在についても触れておきたいと

思います。

 

ギリシャ人は、様々な竜的な怪物をドラコーンと呼んでいたようです。

そうなると、ドラコーンの定義は容易ではありませんが、ギリシャ人は、

自然の動物にはない霊力を持つ、爬虫類的な空想の怪物はすべてドラ

コーンの仲間と考えていたということになります。

 

もっとも、ギリシャでは、蛇的なドラコーンが一般的であって、カドモス

の竜は大蛇であり、ピュトーンもそうです。リンゴの樹を守るラドンは

100の頭を持つが、その一つ一つは蛇であったし、ラドンの両親である

テュポーンとエキドナも蛇的な竜とされます。

 

では、このドラコーンはどのような起源を持つのでしょうか?

 

これらドラコーンの祖先についても、オリエントの竜退治の神話が陸の

回廊、海の回廊によってギリシャまで運ばれた可能性が高いとされます。

 

しかし、ギリシャのドラコーンの起源を考えるには、ギリシャの先住民族

の信仰も無視できないようです。アテナやヘラなどの、もとは先住民族の

神々と蛇との深い関係を考えると、ギリシャ人が南下する以前、そこでは

蛇の信仰をもつ民族がいたと推測されるからです。

 

つまり、ギリシャの半島には、蛇を守護神として崇拝していた人々がいた。

そこに、紀元前2000年ごろからギリシャ人が内陸部から侵入する。

侵入者によって奉じられていたのは、ゼウスに代表される天の神々。

そのため、半島の先住民に崇拝されていた蛇は敵役を担わされる一方

で、オリエントからは竜退治の神話が伝播、土着の蛇と外来の竜とが

混淆してドラコーンが生まれたということになります。

 

そして、その後の展開は省略しますが、古代から中世におけるキリスト

教社会のヨーロッパでは、形態は変化してもドラゴンは神の敵であると

いう考えが踏襲されてゆきます。

 

以上のことから、繰り返しになりますが、西方の竜の主な性格は、東方

の竜とは対照的に、常に神々に敵対する悪魔的存在であったと言える

でしょう。ただし、ギリシャ神話において、リンゴの樹や宝物を見張ると

いう役割も担わされていたというところからすると、西方の竜にも両義的

な性格を認めなければならないようです。

 

また、形態的には、ヨーロッパのドラゴンのみならず、シュメールまで

さかのぼっても、その多くが有翼であり、西方の竜は空を飛ぶのに翼を

必要としたのです。

 

もう一つ、東方の竜との違いで際立つのは、雨との関係です。たしかに、

西方の竜もまた水との関係が深い生命体であると見られていましたが、

東方の竜とは違って、雨をもたらすとは考えられていませんでした。

西方の人々は、反社会的な竜に雨を降らせる権能を認めず、慈雨を

もたらしてくれるのは、竜を退治した神々のほうだったのです。

 

以上、前回は、東洋の竜とその起源、今回は、西方の竜とその起源に

ついて見てきましたが、その類似点、相違点についてはかなり明確に

なったと思います。

 

よって、最後に、それぞれの起源とされるシュメール・メソポタミアの

竜と中国の竜の類似性について少し触れておきたいと思います。

 

つまり、中国の竜はシュメールにさかのぼれるか、ということですが、

『龍の起源』で荒川紘氏は、<中国に竜のあらわれる殷代の後期は、

甲骨文をはじめ、青銅器、馬車、天文・暦法が出現した時代であったが、

これらの、政治権力と深く関係する都市文明は、メソポタミアに起源し、

中国に伝えられたと考えられる。しかし、竜もシュメールに始まると

いってよいかというと、問題はそう簡単ではない。シュメールに起源する

西方の影響があったとしても、中国にはみずから竜を生み出すための十分

な条件が存在していた>と述べています。

 

さて、次回は、いよいよ、日本の竜について触れてみたいと思います。






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