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日本の竜-竜の起源3-


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 龍の棲む日本 




金属文化、文字文化、仏教文化と同様、竜に関しても日本は中国の

文化圏にあるとされます。よって、竜をはじめとして、麒麟、鳳凰、

迦楼羅(かるら)などの不可思議な生命体も中国から日本に持ち

込まれ、牛や馬の信仰も広く行われていました。

 

しかしながら、中国の竜も新石器時代の農耕文化までさかのぼれる蛇の

信仰に起源を持つものであるとすると、日本の竜の性格をさぐるには、

それだけにとどまらず、中国の竜が伝来する以前の蛇の信仰にも目を

向けなければなりません。とにかく、竜は、威厳と力のシンボルと

して別格の聖獣とされてきたのですから。

 

そこで、まず、蛇の信仰を語り伝えてくれる最古の文献である『古事記』

と『日本書紀』に目を向けておきたいと思います。

 

では、そのなかで特によく知られている、出雲を舞台とする八岐大蛇

(やまたのおろち)の説話を見てみましょう。

 

高天原を追放され地上に降りたスサノオが出雲の国の女性と結ばれる様が

大蛇退治の話を中心に語られているのですが、その大蛇は、<その目が

赤カガチ(赤いほおづき)のようで、一つの身体に、頭が八つ、尾が

八つある。その長さは八つの谷、八つの山峡を這い渡るほどで、その

腹はいつも血にただれている。>といった姿形をしています。

 

スサノオは強い酒を大蛇に飲ませて眠ったところを「十挙の剣(とつかの

つるぎ)」で切り殺してヒメを救い、結ばれるのですが、その際、大蛇の

尾から現れたのが「草薙の剣」あるいは「天叢雲剣(あめのむらくもの

つるぎ)」だとされ、アマテラスに献上されます。

 

神話の型としては、ギリシャのペルセウス=アンドロメダ型の一つ(ペル

セウスも金銅の鎌で蛇の髪をもつメドゥサの首を切り取り、海の怪物の

生贄に供されようとしていたアンドロメダを救い、自分の妻にした)で

あるとされますが、問題は、八岐大蛇が竜と言えるのかどうかです。

 

荒川紘氏は、『龍の起源』のなかで、<頭と尾が八つに分かれ、丘や谷を

這い渡る大蛇と表記されるが、ふつうの蛇と見ることはできない。角や足

は認められないから、中国の竜の仲間に含めることはできないが、蛇にも

分類しきれない。>しかし、<中国人が多頭の形態をとるナーガを竜と

訳していたこと、そして、ギリシャ人もまた、多頭の蛇をドラコーンと

呼んでいたことを思い起こせば、この眼光鋭い、八頭・八尾の巨蛇も

竜の仲間に入れることができるのではないだろうか>と述べています。

 

そして、頭と尾が八つに分かれ、丘や谷を這いまわる大蛇が「年毎に」

襲ってくるというのは、いかにも、いくつもの谷間を流れ下り、支流に

分岐する河川の氾濫をイメージさせるが、これは一種の洪水神話と読め

る。つまり、大河の濁流を象徴する破壊の蛇が日本にもいたのであり、

それを退治することで出雲世界に秩序をもたらしたと言えるとしています。

 

次に、大和の三輪山の蛇の伝承について見ておきたいと思います。

 

『日本書紀』の崇神紀に三輪山の神が「蛇」であるという記事が登場し

ます。それによると、<崇神天皇の大叔母にあたるヤマトトトビヒメは、

三輪山の神・大物主大神の妻となったが、大神がヒメを訪ねるのは夜だけ

なので、その美しい姿を見せてほしいと懇願する。そこで、大神は正体を

現すのであるが、それは美しい「小蛇(こおろち)」であった。それを見て

ヒメは驚き叫ぶと、大神は恥じて人の姿に戻り、怒って三輪山へ登って

しまった>ということです。

 

また、「書紀」の雄略紀には、雄略天皇が側近のなかで力持ちであった

スガルに、三輪山の神の姿を見たいので捉えてくるように命じると、

スガルは三輪山へ登り、「大蛇(おろち)」を捉えて天皇に示したという

記事があります。

 

ここから、「小蛇」にしても「大蛇」にしても、三輪山の神であるオオ

モノヌシが「蛇」であることが伺われますが、それは何を意味するので

しょうか?

 

三輪山の山麓は、縄文時代にまでさかのぼることができる、大和では最も

古くからひらけた土地であり、三輪山も、飛鳥・奈良時代には、神々の天

降る「神奈備(かむなび)の山」とされ、この山を祀る大神(おおみわ)

神社がつくられるなど、古くからの信仰の山であったということです。

よって、そこでは豊饒の儀式、そして、また、雨乞が行われていたことが

うかがわれるとされます。

 

よって、荒川紘氏は、<三輪山の「小蛇」と「大蛇」は、縄文土器にかた

どられていた雨と豊穣のシンボルとしての蛇に起源をもっていて、弥生

時代にも生きながらえた豊饒の蛇であると推察される>と述べています。

 

そして、記・紀において、蛇が雨を呼ぶ生命体であること、「大蛇」を雷

とみなしていることなどから、「大蛇」は竜に近いものとして意識されて

いたのではないかと言い、「小蛇」については、竜は伸縮自在であり、

竜と蛇は相互に変容可能であるとしています。

 

さて、このような、記・紀に登場する出雲の蛇と大和の蛇は、どちらも

竜と呼ぶことのできる蛇であるとして、二つの蛇は別のものであるのか、

それらを結ぶ糸があるのか、という疑問がわいてきます。

 

これに対しては、荒川紘氏は、『出雲の国風土記』にはスサノオは登場

するものの、八岐大蛇退治の話はどこにもないところから、出雲神話と

いうものは、大和を中心に起こった権力の交替劇の記憶を、出雲に舞台

を借りて表現した神話ではないかとしています。

 

つまり、高天原から下ったスサノオによって八岐大蛇が退治されるという

話は、一種の洪水神話であるとともに、大和に侵入した天の信仰を持つ

新勢力が蛇を信仰していた大和の三輪山を中心とする旧勢力を打ち倒した

という歴史を伝える神話であるとも読まれねばならないというのです。

 

よって、二つの蛇は同一のものであると言います。ただし、崇神紀では

雨をもたらしてくれる豊饒の「小蛇」と「大蛇」であったのに対して、

出雲神話では、洪水を引き起こす反豊饒の「大蛇」、高天原の神に敵対する

反体制の「大蛇」として登場するのだとしています。

 

以上のことから、記・紀に登場する日本の竜は、縄文以来の蛇がもとと

なった竜のようなもの、つまり、竜蛇ということになります。

 

では、弥生式土器や銅鏡に描かれていた中国伝来の竜はどうなったので

しょうか? そして、弥生時代以後も、日本には、様々な竜の造形が持ち

込まれましたし、飛鳥時代には仏教の竜も入ってきましたが、それらは

どうなったのでしょうか?

 

どうも、記・紀のなかには、「竜」と名のつく神は登場せず、「竜」が主題

となることもなかったようなのです。八岐大蛇も三輪山の蛇も、竜的な

蛇と解釈されるのであるが、「竜」とは記されず、「竜」という語が使われ

ること自体が少なかったということです。

 

ただし、「竜」の名は登場しないが、そのかわり、竜に近い神であった

オカミの神、ミツハの神が、記・紀の神統譜のなかに並んであらわれて

いるとされます。

 

本来、中国では、オカミは雨を呼ぶ竜を意味し、ミツハは水の棲む竜と

考えられていたが、日本においても、それが竜とは述べていないものの、

オカミを雨乞いの神と考え、ミツハを水の神とみていたことは確かな

ようです。

 

また、オカミについては、それはオオカミの転訛であり、「大神」だと

いう解釈があるようです。中国では、人間の魂をさす鬼(き)に対して、

「神」は自然の霊力を意味していたようですが、日本人はそれを蛇に当て

ていた、つまり、大神は大蛇だということになります。

 

なお、記・紀の時代に、オカミ、ミツハとは別に、「タツ」と呼ばれる竜

の観念が流布していたようです。タツは、オカミ、ミツハが水棲の竜であ

ったのに対して、天空を飛翔する竜として認識されていたということです。

 

しかし、なぜ、記・紀の神々のなかにストレートに中国では王権のシンボル

であった竜がそのまま取り入れなれなかったのでしょうか? 荒川紘氏は、

むずかしい問題だとしながらも、日本の皇室の悠久性、独自性を主張する

書であったためではないかとしています。

 

以上の観点から記・紀の「蛇」をみると、八岐大蛇も三輪山の蛇も、それ

は天を飛翔する竜ではなく水に棲む竜蛇ということになりますが、中国や

インド、つまり、東方の竜の仲間に入れることが可能です。

 

その後、平安時代以降、仏教が興隆するとともに、仏教の竜が目立つよう

になるのですが、その性格も一様ではなく、竜と蛇の区別も曖昧なままで

あったようです。したがって、民話や伝説に登場する竜の姿はまちまちで、

竜を大蛇として語ることも多く、竜・蛇の棲むという池や淵は全国に数え

きれないほど存在するのですが、蛇ヶ池、蛇ヶ淵という名の池がある一方

で、竜ヶ池、竜ヶ淵という名の池や淵が混在することになったのです。

 

『道成寺縁起絵巻』には胴体は足のない蛇でありながら、頭は竜であると

いう絵がありますが、荒川紘氏は、<日本の竜がこのような複雑な性格と

形態を示すのは、縄文時代以来、豊穣の蛇の信仰が広く浸透していた日本

の地に中国の竜が持ち込まれたからであり、日本の蛇は外来の竜に駆逐

されなかったからだ>と述べています。

 

ところで、今まで三回にわたり竜の起源について紹介してきましたが、

これはすべて架空の存在としての竜、あるいは寓意としての竜でした。

しかし、「龍」という霊的生命体が実在するとしたらどうでしょうか?

 

そのような、霊的世界に実在する龍、今まで知られていなかった、人類を

指導する高貴な霊的存在としての龍ついては、以前(2016/12/26)、水波

一郎氏の『龍-霊魂の世界から舞い降りた霊力-』を紹介しております

ので、是非読んでいただきたいと思います。

 

 

 
 
 
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