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折口信夫の「死者の書」-古代人の心-

折口信夫「死者の書」


古代や中世を素材にした小説というと、私などは、芥川龍之介の「羅生門」

などの短編を思い浮かべますが、それと同様の小説かと思い読んでみると、

大いにその趣は異なりました。

 

芥川龍之介の場合は、舞台はいにしえでも、登場人物は近代的な自我意識を

持った人間であり、その複雑な心理描写が印象に残りますが、この「死者の

書」は、それとは全く異なり、失われてしまった古代人の心そのものを描き

出そうとした作品であるようです。

 

とにかく、特異な感性で描かれており、本当に不思議な作品だと思います。

 

中沢新一氏は、「古代から来た未来人 折口信夫」のなかで、死者の霊と

いうものは、生前の倫理観は通用せず、時間の観念も持たない。霊の思考を

突き動かしているのは、ただ「類化性能」という無意識の働きだけであって、

ずっと後の時代の女性を「似ている」という理由で、自分の恋人と同一視

しようとする。また、死者の霊は、生者が体験している空間とは全く違う構造

をした空間の中を、なめらかに流れる流体のように運動していくが、折口は、

こういう死霊の行動を、死霊の側からなまなましく描き出すことのできる、

異常な才能を持っていたと述べています。

 

しかし、「死者の書」が描く古代末期は、今まで身近であった生者と死者の

分離はどんどん進み、唯一、人と死霊を媒介し得る巫女、いわゆるシャーマ

ンでさえ、すでに没落していたようであり、新文明の象徴であった国家仏教が、

かろうじて残っていたそういう古代人の心性を、時代遅れの迷信として社会の

片隅に追いやろうとしていたというのです。

 

それでは、死霊の世界との古いやり方での交通の手段を失ってしまった日本人

は次の時代に、「あの世」との交通路をどのようにして開くことができたのかと

いう問いが、この小説のテーマと重なってくるようです。

 

つまり、折口信夫は、わたしたちの先祖たちが、長い時間をかけて考え抜いて

きた列島土着の思想と、時代に飛躍をもたらす新しい観念とを、まるでひと

つながりの展開のように描き出すことができなければ、仏教がもたらした思想

の飛躍などは、民族の伝統にとってはひとつの災いにすぎないと考えていた

ようなのです。

 

そこで、折口は、古代末期に生きた伝説の中将姫(小説では、藤原南家の郎女

として描かれる)をよみがえらせることによって、日本人の精神をまざまざと

描き出してみようとしたのであり、それによると、古い死霊の出現の形では

なく、二上山山頂に沈む太陽の輝きをとおして、恍惚のなか、浄土の扉が開か

れるといった、仏教思想を取り込んだ新しいタイプの通路への精神的飛躍が

なしとげられたということです。

 

中沢新一氏は、この小説の意義について、折口信夫は、『「死者の書」という

小説作品で、古代末期に日本人の精神に起こった、重要な飛躍の意味をあきら

かにしてみようとしたのである。それは学問的な論文の形式では、とても表現

できないような、重層性を持っている。しかも、その飛躍は日本人の心の奥で、

外見上は、ひっそりと遂行されたものであるから、歴史学や民俗学にもとうてい

理解できない深さをそなえている。このひっそり遂行された徹底的に保守的な

革命の意味を描くために、中将姫のイメージは折口によって想像されたのである。

この小説の背後には、折口の抱えていた巨大な主題が隠されている。』と大変な

評価をしています。

 

そして、さらに、「死者の書」の続編(第一稿、第二稿)から推理すると、そこに

働く宗教思想の論理を東方のキリスト教や民間信仰の考えやペルシャ経由の太陽

神に対する信仰にまで拡大しようとしていたとし、『折口学のめざしていたのは、

人類の行ったすべての観念活動の意味を一貫した視点から再構成することによっ

て西欧的な進化主義的なものの見方を覆すことにあった。折口信夫の残した仕事を

見渡してみるとき、わたしはその先駆性に、しばしば、茫然とさせられる。・・彼が

切り開いた道は、いまではすっかり雑草におおわれてしまっているように見える。

その雑草を切り払い、わたしたちは、もう一度、その道を歩みなおしてみる必要が

ある。』とその先駆性、未来性の継承を訴えています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
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