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折口信夫と「まれびと」-「神」をめぐる視点-



まれびと 



 

日本人の抱く神の観念は、今、私たちが知っているものよりもずっと古い、

原型的なものがあったはずだという点では、折口信夫と柳田国男の見解は

一致していたようですが、その原型がどういうものであったかというこことに

なると、両者の考えは大きく異なっていたようです。

 

柳田国男は共同体の同質性や一体感を支えるものこそ神だと考えていたという

ことです。そうなると、神と共同体は、同じ性質を共有している必要があります。

柳田の考えでは、先祖の霊こそがそれにふさわしい存在でした。祖霊になるべき

霊は、共同体の内に発生するから、共同体と深い同質感や一体感を持っているはず

だと。その祖霊が神の観念に発展していけば、当然、その神と共同体は一体のもの

となります。このように、柳田は祖霊こそが日本人の神観念の元型だと考えたよう

です。

 

一方、折口信夫は、そうではなく、それと逆のことを考えていたようです。折口は

神観念の大元にあるのは、共同体の外からやってきて、共同体に何か強烈に異質の

体験をもたらす精霊の活動であるに違いないと考えていたというのです。つまり、

柳田国男が共同体に同質の一体感をもたらす霊を求めていたのに対して、折口信夫は

共同体に異質な体験を持ち込む精霊を探し出そうとしていたようであり、そこから、

折口の「まれびと」の思想が生まれたということです。

 

ところで、この「まれびと」の思想とはどういうものなのでしょうか。

 

折口の「まれびと」の思想には、二つの意味が込められているということです。

 

一つは、日本や日本文化のルーツ、つまり、「魂のふるさと」である南の海洋

世界からの訪問者のイメージであり、もう一つは、これは、重要なことだと

思われますが、「あの世」、「他界」からの来訪者のイメージです。

 

中沢新一氏は、このことに触れ、人間の知覚も思想も想像も及ばない、徹底的に

異質な領域があることを、「古代人」は知っていた。・・・この他界と現実の世界を

つなぐ通路が発見されなければならない。・・・「この世」に生きている時間などは

ほんのわずかにすぎないけれど、それでも「この世」を包み込んでいる「あの世」

があり、あらゆる生命が死ぬとそこへ戻っていき、また、いつか新しい生命とな

って戻ってくることをあると知ることができれば、わたしたちはいつも満ち足りて

落ち着いた人生を送ることができる。「あの世」と「この世」をつなぐ通路こそ、

折口信夫の発見(再発見)した「まれびと」なのであった。』と述べています。

 

折口は、その後、日本列島の南の島々へ調査に出向き、「まれびと」は、単なる

詩人的な幻想などではなく、今なお実在している事実であることを確認すること

になります。

 

中沢新一氏によると、『「まれびと」はこうして、日本人の神概念の原型を示して

いるばかりではなく、(さらに、日本の文学と芸能の発生にまで及び)折口信夫

の学問と思想の全体を表現する、たぐいまれな独創性をもつ概念となって成長

していった。』ということです。

 
 
 
 
 
 
 
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

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