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「仏教誕生」2-釈迦(ゴーダマ・ブッダ)の生涯-

釈迦2

釈迦が歴史上実在した人物であるか否かについては、今ではその実在性を疑う

学者はいなくなったようですが、18~19世紀のゴリゴリの実証主義の時代

においては、その実在を疑問視されていたことがあったようです。

 

インドにおいては、中国のような編年体の歴史書が近世に至るまで皆無に等し

かったということと、釈迦などインドの偉大な人物についての伝記は、神話的

潤色が施されているということが、疑いを強くしたということです。とりわけ、

大乗仏教の経典に登場する釈迦は、およそ歴史上実在した人物だとはとても思え

ない人物として描かれているのは周知のとおりです。

 

釈迦の在世年代ですが、伝承には、二系統あるようで、今なお最終的な決着は

ついていないようです。一つは、南方上座部仏教が伝えた、あるいは南方仏教

経由で中国に伝わった伝承では、紀元前563~483年、あるいは紀元前

563~485年となり、もう一つは、北方経由で中国に伝わった伝承で、

紀元前466~386(もしくは383)年としています。いずれにしても、

釈迦は、80歳ぐらいで入滅されたことになります。

 

さて、釈迦は、現在のネパール領になる北インドのサキヤ(シャーキャ)族の

ゴーダマ姓の家系、すなわち、王族階級の家系に生まれたという。サキヤ族は、

当時、南の大国コーサラ国の属国として部族共和制の国家を形成し、首都は、

カピラヴァストウというところであったということです。

 

釈迦が生まれたとき、立ち上がって、東西南北を順に見まわし、北に向かって

7歩あゆみ、右手を上に、左手を下に向け、「天上天下唯我独尊」、つまり、

「神々を含めて、この世に自分より勝れた者はいない」と宣言したという伝説

がありますが、これは生まれたときに発した言葉ではなく、釈迦が修行ののち、

説法を決意してバナラスへ向かう途中に出合ったウパカという人物を相手に最初

の説法を試み、いきなり語ったのがこのような文句であったのではないかとされ

ています。(もっとも、ウパカは釈迦を相手にしなかったので、この最初の説法

の試みは失敗したということですが。)

 

釈迦は、16歳で結婚して、29歳のときに、一子をもうけたあと出家されたと

いうことです。釈迦のような偉大な存在の深い苦悩と、その出家の動機について

は、我々のような凡人には、到底、理解が及びませんが、宮元氏は、いささか

できすぎた話であるとしながら、次のような伝承、「四門出遊」のエピソード

なるものを紹介しています。

 

「鬱々と日々を送っている釈尊の心身の健康状態を心配した父王は、朋輩と

して釈尊に仕えている若者たちに、気晴らしのため、馬で城外を散策するよう

に釈尊を誘えと命じた。あまり乗り気でなかった釈尊も、朋輩の熱心な誘いを

拒みきれず、ある日、東の門から外に出た。するとほどなく、町のなかで、

よぼよぼの、見るからにいたましい老人を目にした。老いの苦しみとはこの

ようなものだということを実感した釈尊は、胸ふたがれる想いでそのまま城

に引き返した。別の日、また誘いにしたがい、南の門から外に出た。すると

ほどなく、病に苦しんでいる人を目にし、やはり胸ふたがれる想いを抱いて

そのまま城に引き返した。さらに別の日、西の門から外に出た。するとほど

なく、あろうことか死人を目にしてしまい、またそのまま城に引き返した。

そして、別の日、北の門から外に出たところ、今度は沙門の姿を目撃した。

老いと病と死という避けがたい苦しみに直面して悩みをいっそう深くした

釈尊にとって、沙門としての生き方こそが、そのような苦しみから最終的に

逃れる唯一最善の道ではないかとの確信を、釈尊はこのときに得たのだ」と。

 

実際にはいろいろあったということなのであろうが、その意味で、このエピ

ソードは含蓄に富んでおり、傾聴に値するとしています。

 

出家した釈迦は、修行の道へ入っていきますが、最初は、禅定(瞑想)に

より解脱を求める道に心ひかれたということです。当時、修行法には、禅定と

苦行の二つがあり、苦行のほうがより一般的であったようです。

 

釈迦は、アーラーラ・カーラーマ仙、そして、ウッダカ・ラーマプッタ仙と

いう仙人に師事して禅定の道を歩みはじめますが、いずれにも疑問を抱き、

辞することになります。

 

初期仏教以来、仏教の修行体系には、戒・定・慧の三学という階梯があり、

慧(智慧)を完成したとき、修行者は解脱に至るとされていますが、宮元

氏は、大乗仏教になると、禅定の最高境地である三昧をもって解脱と見なす

傾向が顕著になってきたとして、釈迦が最初のころ師事した二人の仙人は

かなりそれに近いものであったと考えられる。つまり、禅定の次なるもの

としての智慧の獲得というものが彼らの教えには欠如していると釈迦は

漠然とながらも直観したに違いないと述べています。

 

さらに、「禅定と智慧とは原理的に無関係である。三昧じたいは、生来

禅定に向いた心的傾向をもつ人ならば、教理とは無関係にいとも容易に

得られる。」「禅定の当たり前にして最大の問題は、そこから戻れば、また

もとの雑々として心を乱す日常生活が待っているということである。いとも

容易に最高の禅定の境地に達し、またもとの状態に戻るのみ、これが、老い

や病や死といった苦しみから最終的に逃れる道だとは、釈尊にはとうてい

思えなかったということであろう。」と述べています。

 

かくして、禅定に失望した釈迦は、「苦行林」という森に入って止息や断食等

の激しい苦行に専念されたということです。

 

このような過激な苦行を続けていくうちに、釈迦は、あらゆる苦しみに耐え

得る心を練成していったようですが、どんな苦しみにも耐え得るということと、

苦しみを起こす心的機構を根絶し、超越的で平安な心を得るというのは別の

ものでした。

 

強固な意志だけでは、苦しみが起こるのを最終的に遮断することはできない。

現に釈迦は、世俗生活への誘惑と常に対決しなければならなかったし、その

ため、みずからの道の正しさについて迷い続けたという。

 

その結果、やはり苦行ではなく、やはり禅定こそが解脱に至る正しい道、智慧

を得るための最善の道であることを確信し、苦行に見切りをつけ、苦行林を

あとにして村に下りられたということです。

 

苦行を捨てた釈迦は、瞑想と思索にふける中で、成道を得、ブッダ(覚者)と

なられたとされていますが、その過程で体得したのが中道であり、その具体的

な実践方法が八正道ということです。中道とは、宮元氏によると、後の時代の

ような思弁的なことではなく、苦行主義からも、快楽追求の世俗的生活からも

離れよということであり、ほぼ苦楽中道ということに尽きるとしています。

 

成道ののち、釈迦は、入滅されるまでの45年間、教えを説き続けられたと

いうことですが、最初、道を人々に説くことにためらいを抱いておられた

ということです。

 

釈迦が、説法を最初ためらったのち決意した理由については、仏典では、

宇宙創造神であるブラフマー(梵天)から三度にわたって懇願された

からというエピソードが語られているだけですので、これまで様々な

議論が戦わされてきたようです。

 

宮元氏は、このこと(ためらい)は仏教の目的、つまり、生存欲の滅却、

生についてのニヒリズムに深くかかわる重要な問題であるとしています。

「仏教は、少なくとも釈尊の教えはそうなのであるが、第一義的には、

厭世を促す教えである。」「みずからの輪廻的な生存への執着を捨てよと

いうことになろう。」「みずからがこの世に生きつづけようとすること

じたいの否定にほかならないというべきである。」「仏教が最終の目標と

するところは、そして釈尊その人が到達したところは、生存欲を断つこと

だということになる。(・・・)生のニヒリズムに到達に到達した者は、

当然のことながら、この世に生きる何の意味も見いださず、したがって、

何の価値判断もくだすことがない」と述べています。

 

しかし、説法を決意されてからは、一生涯、教えを説き続けられ、最後

に、「およそありとしあるものは滅びゆく。怠ることなく一心に励め」

と言って入滅されたという。

 

こういったことからすると、ためらいの理由については、ほかにもっと

異なる理由があったとは考えられないでしょうか。

 

当時のインドの特殊な宗教的環境の中で、事実をそのまま語ることは、

人々を正しい道へ導くことにはならないのではないか、ともすると

伝統的な思考様式に縛られたまま、依存したままになるのではないか、

という危惧がためらいの理由であったとは考えられないでしょうか。

 

また、釈迦は、死後の世界は有るとも無いとも語らなかったということ

ですが、たえず変化するだけで普遍性を持たないこの世に価値はないと

するとき、いったい何に価値の基準をおいておられたのでしょうか。

 

とにかく、宮元氏は、釈迦の人物像について、氏自身の哲学的立場を

経験論とニヒリズムに裏打ちされたプラグマチズムであるとし、釈迦の

立場もそれに近似していると述べていますが、釈迦を偉大な存在として

崇拝する人々からすると、なかなか受け入れられないように思われます。

 

私自身も、釈迦の本当の思いは誰も知ることができなかったのでは

ないかという強い思いを抱いています。

 

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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

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