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禊とイエス-「禊 神秘の法」2-



禊 神秘の法 神伝禊法


禊には、水の禊以外に、より高度な行法として、火(光)の禊、風の禊、霊の禊、

そして、神の禊というものがあるということですが、しかし、最初の水の禊が

すべての基本であり、前提でさえあるとされています。

 

なぜなら、水という物質は万物の根本の一つとも言われ、人間にとっては不可欠

であり、当の肉体さえも大部分は水分であると言われるほどに人間と深い関わり

をもっているため、人間の身体に直接感じやすいためだということです。

 

さて、ヨハネ福音書によると、洗礼者ヨハネが、人々に水でバプテスマを授け

ますが、これは水の禊に近似したものであったではないでしょうか。

 

ヨハネは、自分は水でバプテスマを授けているが、イエスに対して、「その人

こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである」と述べています。

水波一郎氏も、偉大な神人が地上に現れれば、形は違っていても、同様の目的

を持った技法が他の国に誕生してもおかしくはなく、イエスのいう聖霊のバプ

テスマこそ、古神道でいう禊に近いものと思えるとしています。

 

水波氏は、イエスは「霊の禊」の意味を知っていたのではないかとしながら、

さらに、禊とイエスについて述べています。

 

イエスのように、メシアと呼ばれるほど大きな個性ともなれば、上級霊界の

霊魂たちの霊感を受けていたはずである。上級霊界の霊魂ともなれば、国家

単位、というより惑星単位で活動していることが多く、日本の神人として

地上を去った霊魂も、イスラエル人の指導をすることはよくあるはずだし、

イエスやその弟子たちが、死後、日本人を指導することもあるはずである。

よって、いずれも霊的指導者たりうるはずであるし、当然、禊は重要な

テーマであると。

 

しかし、イエスの禊は、霊の禊ではなく、「血の禊」にならざるを得なかった

というのです。

 

水波氏は、「イエスは、人々の罪など一つも負っていない。いかにイエスが

死んだとて、十字架に架けられたとしても、それで人々の罪が許されるはず

がない。」「いかに大神人といえども、そんなことはありえない。いや、むしろ、

大神人だからこそ一般人よりも罪が小さいのであり、イエスよりも罪の

重い人が彼を磔にして血を流し、それでいて、イエスに彼らの罪がすり

替わるはずがないのである。」「ましてや、彼の直弟子でさえ、聖書に

よれば、何回も彼の弟子ではないといって逃げている。いざとなれば、

十二使徒でさえも自分がかわいかったのである。そんな人々の罪が、

イエスの死によって突然消えたり、イエスを受け入れたからといって、

どうなるというものでもなかったのである。」と述べたあと、聖書は

必ずしも正しいイエスを伝えていないとしながらも、

 

「私は、イエスのことを思うと涙が溢れてしまう。」「彼は愚かな弟子

たちと、哀れな人々のために自ら死んでいった。ただし、それは人々

の罪があまりに重く、血を見るしか、彼らの目をさますことができ

なかったからであったろう。」「イエスの本当の禊は、血によって

禊を得る、である。」と主張しています。

 

かくして、血の禊とは、血を用いて行なう神々との契約であり、そして、

それは、人々の救いのために、彼らの目をさますことでありました。

イエスが、その後ニ千年も世界に人に知られているのは、その力が

人々の心を動かしたからにほかならないということになりましょう。

 

著者の水波氏が、霊的知覚により、そのときイエスのそばにいたという

高貴な霊的存在から聞いたところによると、血の禊は次のようにして

行なわれたという。

 

1.  自らの死の少し前に神に問う。「自分の死は正しいか否か」

2.「神の声を無視して自らの罪を告白する」

3・神と神々と上級霊魂たちが「あなたには罪はありません」と

叫んだとしても、「私は罪人であった。そして、再び罪を犯す。

それは、人々の罪を認めないことであある」という。

4・地上に生きたころに神人と呼ばれた偉大な霊魂たちが、近くに

寄ってきたらこういう。「血の禊は涙の禊なり。人々の罪は私

の罪なり。それは、人々が私の名を呼び、罪の許しを求める

からである。私はそれを思って自らの罪を宣言する」

5.「神は愛であり、法でありつづけねばならない。私は救いで

あり、メシアである。」

6.死

 

ところで、水波氏は、日本の古典にある、天照大御神とスサノウの命の神話が、

イエスの死と深いかかわりをもっているといったらどうであろうかと問い

かけています。

 

イエスは、日本の神伝の伝承者ともいえるのであり、禊法の奥儀をイエスは

知っていたというのです。

 

神話によれば、天照大御神はイザナギの命が禊によって生み出した神であり、

スサノウの命、月読命も同様であるが、それは、禊による神々の誕生を意味

するという。禊法は光の神を生み出した。日本の光が天照(アマテラス)なら、

キリスト教では、イエスこそが光といえましょう。

 

よって、日本ではイエスの死は必要ではなかったという。それは日本に、天照

とスサノウの物語があったからです。神々の経綸は、ユダヤにイエス、日本に

は禊法をお与えになったということです。

 

禊法の奥義について、水波氏は、次のように明らかにしています。

 

「なぜ、三神が貴いのかといえば、禊の秘密の一つが、日と月と破壊を意味して

いるからである。日は昼の光であり、月は夜の光である。しかるにスサノウは、

高貴な御子でありながら、何の光も持っておらず、泣いたり、暴れたりする破壊

の象徴でもある。」「彼には光がなく、代わりに力があり、叫び、攻撃し、そして、

天照に対抗した神格なのである。」

 

「これが禊法の神秘なのである。禊は水や火(光)や風で人間の魂を清めるが、

同時に高い部分を甦らせ、光としての自分と、力としての自分、そして怒りと

破壊、そして、それを許す愛、そして、その両者を統合した意識としての神的

自我の登場なのである。」

 

「禊の奥義はここに窮まる。禊は日の力を吸収し、自分自身を変化させる。

やがて、神々の身体ともいえる神体を発生させ、強化し、神々の気を直接

自分のものにしてしまう。そして、魂全体の進化によって、高級な個性と

しての霊魂の世界へ旅立たせるのである。」と。

 


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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

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